馬嶋 亮「リスアニ!」が創刊10周年イヤー突入ということで、リスアニ!の歴史とアニメソングの振り返りをしてみようという連載企画になります。お集まりいただいたのは、リスアニ!発案人でその後編集長も務めた西原史顕さん、創刊当初からライターとして参加し、西原さんから編集長を引き継いだ澄川龍一さん、「リスアニ!」の創刊に深く関わり、原稿執筆のほか、現在は“リスアニ!LIVE”の司会なども務める冨田明宏さん、そして、創刊から現在に至るまで数々の記事を担当しているライターの日詰明嘉さんと前田 久さんです。今回は、創刊前後の話ができればと思うんですけど、いつ頃からどんなふうに立ち上がっていったか、創刊人の西原さんお願いします。
西原史顕企画が動き出したのは2009年の夏頃だったと思います。僕がソニー・マガジンズ(現・エムオン・エンタテインメント)に入ったのが2009年の3月で、「WHAT's IN?」で編集をやっていました。ご存知の通りJ-POP誌ですが、当時から西川貴教さんやGLAYのHISASHIさん、Base Ball Bearの小出祐介さんなど、アニメカルチャーに興味や見識のあるアーティストさんたちがいたんです。だから、「WHAT's IN?」の中でアニメソングを取り上げたいなと思っていろいろ企画を出しては、「ちょっとまだ……」みたいなやりとりがあって。僕がどうしてそういうことを考えるようになったかというと、元々「オトナアニメ」(洋泉社・2006年〜2015年)の読者だったんです。図らずも今日来ている方々はみんな「オトナアニメ」で執筆していた人ばかりですね(笑)。そして、2007年に「アニソンマガジン」(洋泉社)が出てきたときに、「アニメソングだけでここまでしっかり雑誌が作れるのか!」と驚いたし、だったら、「WHAT's IN?」の音楽専門誌としてのプライドも見せつつ、僕は僕なりに何か作れるんじゃないかと思ったのがきっかけです。いちばん最初に紹介してもらったのが冨田くん。秋葉原で会ったよね。
冨田明宏お茶しながら話したよね。
西原たしか、エクセルシオール(笑)。
馬嶋そのときが初対面?
西原そうそう。「WHAT's IN?」にレコード会社のプロモーションで、ランティスの鈴木めぐみさんとワーナー・ブラザースの中西秀樹さん(当時はジェネオンエンタテインメントのスタッフ)が来ていて、僕はI’veとか川田まみさんを「WHAT's IN?」で取り上げたり、鈴木さんからはGRANRODEOの売り込みをもらったりしていたなかで、ふたりが来るたびに、「アニメソングって面白いよね!」「あの作品すごいよね」みたいな話をしていたら、中西くんが冨田くんを紹介してくれた。
前田 久そうだったんだ! その話は知らなかった。
澄川龍一当時は中西さんがキーマンだったよね。自分はそのとき「bounce」(タワーレコード)にいて、2007年から中西さんとはもう面識があってよく話してた。
冨田当時の中西さんはジェネオンにいて、I’veを一般誌に出したいと思っていた時期だった。僕も、当時あった「REMIX」(アウトバーン)っていうクラブカルチャーの雑誌でI’veの記事を書いてって頼まれたりしていたんだけど、そういうタイミングでスウィングしたのが「WHAT's IN?」にいた西原くんだったんだと思う。ジェネオンだけじゃなくてほかのレーベルにも、アニメやゲームの村社会だけで完結するんじゃなくて“一般”に出ていきたいっていう空気がすごいあって、「BARKS」で特集をいっぱいしてたりとか、“アニメソングが外に出ていく”っていう流れとリスアニ!はちょうど被っていた。今はその全盛期というか。
西原そうだね。10年かけてスタンダードになった感じだね。
冨田エクセルシオールで初めて会ったとき、西原くんが「劇伴とかもやりたいんだよね」って言っていたことをすごく覚えてる。そういうことを言う人はまだ業界にいなかった。劇伴をやるっていうことは、クリエイターに光を当てるってことだから、プロデューサーも含めてそういう人たちにちゃんと話を聞く雑誌にしたいって聞いて、なるほどなって思った。
西原「WHAT's IN?」ってシンガーソングライターが多かったから、歌っている本人が曲も作って歌詞も書くので、アーティストに話を聞けばすべてがわかる。でも、アニメソングや声優アーティストの場合は分業制が多いから、歌っている人とは別に曲を作った人がいる。だったら、歌っている人だけに話を聞くのでは足りないと思ったから、両方に話を聞こう、と。
冨田そのあたりのことって、俺と龍ちゃん(澄川)や日詰さん、Qちゃん(前田)が「アニソンマガジン」でやっていたことだったけど、すごくローカルな感じはあったからね。
澄川そもそもメディアがなかったよね。トミー(冨田)と前田さんが「オトナアニメ」で2007年に「アニソン特集」をやったけど、それがすごく画期的なことだった。「アニカン」とか、アニメソングを紹介する場はそれまでにもいくつかあったけど、現代アニソンという位置づけであれだけ大々的に紹介するものはなかった。
冨田手前みそな話だけど、広告的な要素とかはまったく関係なく、本当にいいもの、そして2000年代のアニメソングしか語らないっていのが画期的だったと思う。“お客さんが今本当に求めているもの”を語るっていう部分はすごく面白かったと思う。
澄川あのときって、トミーはまだタワーレコードで働いてたでしょ?
冨田そうそう。2006年に、まだ洋泉社さんと面識がなかったときだけど、企画書を送ってみたの。そうしたら、「ちょうどあなたと同じことを考えている人がいます」って紹介されたのがQちゃんだった。
前田懐かしいなぁ。「オトナアニメ」にはVol.2から関わらせてもらうことになったんだけど、当時はまだ駆け出しの、そんなに実績のない20代のライターだったのに、編集会議に呼んでもらえたのよ。そこで「若いアニメファンの目線で何かやりたいことないの?」って言われて、2本出した企画のひとつが、「今アニソンがすごく盛り上がっているし、音楽的にも面白いからやりましょう」というものだったの。で、あとは冨田さんの言うとおり。「オトナアニメ」のアニソン特集は2回やってるんだけど、1回目のときはメールベースでやりとりをして、2回目の前に編集部で初めて顔合わせをしたという流れだったかな。
澄川その流れが「アニソンマガジン」に繋がっていって、さらにそのあとの流れを西原さんがフックアップした。
日詰明嘉私が最初に会ったのは冨田さん。初めて会ったのって、2008年の"Animelo Summer Live"でしたっけ?
冨田いや、たしか"アニサマ"の前に、Qちゃんとかと一緒に飯食ってるはず。
前田あるレーベルのスタッフさんが、新たにアニメ部署に異動になって、アニメに詳しくないからいろいろ教えてほしいって呼ばれたやつだ。
日詰それまではビジネス系の記事が多かったし、アニメソングの記事は書いたことがなかったけど、冨田さんに2009年の"ランティス祭り"のお仕事を紹介してもらったのが、アニメソングのお仕事の始まりですね。
澄川たしか、そのときは西原さんも来ていて、もう「リスアニ!」を作ることは決まってたよね?
西原そうだね。「リスアニ!」には「0号」があるんだけど、その前に2009年8月12日発売の「WHAT's IN?」のブックインブックをやって。そして、2010年2月に「0号」を作り、その中で4月に「リスアニ!」を創刊するという告知と創刊理由を書かせてもらって。
冨田文章が熱くて若い! 今はもうこれと同じ熱量では書けないかもしれないよね(笑)。
「WHAT's IN?」
2009年8月12日発売号ブックインブック
「リスアニ! Vol.00」
2010年2月発行
西原ブックインブックのときは、あくまで「WHAT's IN?」という括りの中での企画なので、「リスアニ!」という名前が初めて出てくるのは、この2010年2月の「0号」。
冨田でも、はっきり覚えているけど、初めて会ったエクセルシオールのとき、西原くんはもう「リスアニ!」っていう名前を言ってたよ。
前田リスアニ!の由来ってきちんと聞いたことなかったけど、なぜ「リスアニ!」に?
西原単純に「アニメ=Anime」と「聴く=listen」からきていて。そこから「Animated」にして「魂の」みたいな意味も持たせて、“魂込めて作っています”ということも込めて。アニメに関わる音楽、それはオープニングやエンディングだけではなくて、劇伴も含めた“アニメ音楽”を聴け!みたいな想いですよね。
澄川ちょっと話が変わっちゃうけど、会社としても音楽メディアとして新しいことを始めたわけじゃないですか。企画をあげたときの社内の反応ってどういう感じだったの?
西原「WHAT's IN?」の編集長は、やりたいって言ったものは全部見て検討してくれる人だったから、まずそこはありがたかった。そして、ソニー・ミュージックグループには、それこそミュージックレインもあるし、ほかのレーベルにもアニメソングに関わるアーティストがいるので、そのプロモーションをしたいということで、グループからも協力を得られたのは大きかった。
「リスアニ!Vol.01」
「リスアニ!Vol.02」
澄川創刊号からLiSAやClariSがいるっていうのを見ると、タイミングが良かったんだなと思うよね。
西原ドンピシャすぎて、怖いくらい(笑)。アーティストだけでなく、アニプレックスの勢いもあったし。例えばTVアニメ『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』は音楽に力を入れているので、一緒にやりましょうって言ってもらえたりとか。
前田ソニー・ミュージック的にも売り出したいアーティストや作品が出てきたタイミングっていうことだよね。それ以前、2008年くらいのアニメソング界隈だと、水樹奈々さんとか田村ゆかりさん、堀江由衣さんを筆頭に、表紙を飾れる人がある程度限られる……というか、ぶっちゃけたことをいえば、読者にとって表紙や特集になったときにヒキの強いアーティストというのは、少なかった。「アニソンマガジン」はそれがとにかく悩みの種だったんだよね。季刊で1年出しだけで、表紙のセレクトが二巡目に入ってしまう(笑)。
澄川そうそう。もう少しあとになると、花澤香菜さんとかも出てくるし、表紙をやれる人が増えてくるんだけど、当時はある種の閉塞感はあったかもしれない。
冨田でも一方で、リスアニ!では水樹さんやJAM Projectにも出てもらいながら、新しく出てきた人やそれまで光の当たっていなかった部分を取り上げて雑誌を作っていったのもよかったよね。当時の編集会議では、既に一時代を築いた感があった水樹さんやJAM Projectといったアーティストの扱いについてはすごく話し合った記憶がある。まったく新しいアニソンメディアを謳うリスアニ!として、ビッグアーティストたちをどう扱う? という部分で。
澄川JAM Projectは、5人連続でソロインタビューしたりとか。1年くらいすると、例えばLiSA世代だけで誌面を作ろうと思えば作れたけど、そのあたりのバランスをとるようにしたね。
西原そうだね。ただ、1号目を作ってみて、なぜ2号目以降も盛り上がれたかというと、やはりLiSAさんの存在だったなと思う。
澄川2号目の表紙は「Angel Beats!」だしね。それこそ、当時馬嶋さんが働いていたタワーレコードとの繋がりが深まっていくのにもLiSAさんの存在があったと思う。
馬嶋では、次回はシンガーやアニメ作品の流れとともに、リスアニ!のその後、そして“リスアニ!LIVE”初開催の話をしていきたいと思います。