【連載】畑 亜貴「回想という名のアニソントマソン」<br>第1回目ゲスト:神前 暁

【連載】畑 亜貴「回想という名のアニソントマソン」
第1回目ゲスト:神前 暁

2019.09.12
連載

作詞家・アーティストの畑 亜貴によるスペシャル連載がスタート! 毎回畑さんに所縁のあるゲストを迎えてのトークセッションとなる本連載。最初のゲストは『涼宮ハルヒの憂鬱』『らき☆すた』『じょしらく』において、畑さんとの黄金タッグで数々の名曲を生み出した神前 暁さんが登場! 新時代のアニソンを生み出した2000年代から、成熟を迎えた2010年代と、彼らが駆け抜けた時代を振り返りつつも、話題は思わぬ方向へ……!?

リスアニ!10周年を記念した特設サイトに掲載されます、畑さんの連載企画ということで、第1回目のゲストは神前 暁さんにお越しいただきました。おふたりのタッグでは様々な名曲が生まれましたね。

畑 亜貴いろいろありましたね。

神前 暁そうですね。

いろいろありすぎて、超絶大きい走馬灯がぐるんぐるんしています(笑)。

以前ラジオ番組でもおっしゃっていましたが、畑さんの場合は走馬灯が長い(笑)。

大きくて長いという。

おふたりのタッグといえば、なんといっても2000年代を象徴するアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』や『らき☆すた』が挙げられます。

『ハルヒ』や『らき☆すた』のあたりって、気絶してたんじゃないかってぐらい記憶がないんですよね。

神前自動書記みたいな感じですか?

いや、どちらかというと、走りすぎていて前後に起こっていたことが思い出せない。関わっていた作品は思い出せるんだけど、何が自分に起こっていたのか思い出せない。

神前すごいペースでしたからね。

スタジオにいたか飲み屋にいたかの記憶しかないです(笑)。あとは「あ、今点滴打ってる」って……。今だから言えるけど、あの頃は週一で点滴を打ってたんですよね。

神前それは過労で?

そう。そのときは夢中すぎて、体調が悪くても構ってられなかったので。今は体調が悪かったら素直に休んだりするけど、そもそも体調が悪いなんて言えなかった。周りのみんなもすごい勢いで走ってたから。

神前まあそうですけど、畑さんのペースは異常でしたからね。『らき☆すた』はキャラソンだけで50曲以上ありますよね。最初のシリーズでシングル10枚ぐらい出て、企画アルバムも出て。

最初におふたりが出会ったのは、2006年の『ハルヒ』での、「God knows...」や「Lost my music」の頃ですか?

神前お仕事ではそうですね。でも『ハルヒ』のときは直接お会いしていないのかな? そのときはデータのやり取りだった気がしますね。多分そのあとの宴会とかで会ったんだと(笑)。

たしかに、うんうん。雑な飲み会で会っている(笑)。

(笑)。お互いの印象は覚えていますか?

どうだったっけかな……。

神前僕はお仕事では知っていたので、『あずまんが大王』の方というイメージでしたね。
(※あずまんが大王…原作・あずまきよひこによる2002年放送のTVアニメで、OP&EDテーマの作詞を畑が手がけた)

そうかそうか。私はやっぱりナムコの方という印象で。
(※神前 暁は以前、株式会社ナムコ<現・株式会社バンダイナムコ>に所属していた)

神前畑さんはコナミ出身でしたもんね。

うん。だから最初はゲームの話をしていたかもしれない。

神前そうだ。

だから改めてというよりは、流れで出会った感じですね。共通の知り合いもたくさんいたし。

たしかに、2000年代前半はPCやコンシューマーのゲームシーンの作家がアニソンに入っていくことが多かったですよね。

そうですね。

神前僕も他業種から来ましたからね。そういう新しい流れをランティスさんが作り始めていた頃ですよね。

そうだよね。ゲームもアニメも垣根なく、みたいな。面白そうな音楽を集めてガッといっちゃおうという流れに私たちも乗って。

神前そこで馬車馬のごとく(笑)。

止まらないよ! って言いながら(笑)。

そしておふたりのタッグが本格化していったのが、2007年の『らき☆すた』ですよね。「もってけ!セーラーふく」をはじめ、膨大なキャラソンを手がけていきました。

忙しかったよね。仕事以外のことが入る隙間がなかったよね?

神前それはもう、まったくなかったですね。仕事しかしてないです。

結局飲みに行くのも周囲のスタッフと行くから、昼間スタジオ、夜飲み屋、帰って寝る、起きてスタジオ、終わって飲み屋に行ってまた帰って寝る……という。よく死ななかったなと思う。あの頃はお風呂に入りながら寝ていることも多くて。

そんな危ない状況だったんですね。

神前僕はその頃はほかの作品を並行していなかったので、『らき☆すた』でいっぱいいっぱいだったんですけど、あの忙しさが普通だと思っていました。「アニメ業界ってゲームと違って大変なんだな」って(笑)。今思えば異常ですけどね。

異常だった。麻痺してたね、感覚が。

神前なんとなく走り続けていたら、それがなんとなくできちゃっていた感じですね。

周りの人もそういう生活だから、これがデフォルトなんだなって思ってた。

神前かなりチャレンジングだったと思いますね。

おかげで面白い時代を過ごすことができたけど(笑)。

神前こういうことってあとからだからこそ語れることでもありますけど、本当に熱量の高い時代でしたね。

ひとつの作品で多くのキャラソンも生まれるという『ハルヒ』や『らき☆すた』のような当時のスタイルは、2000年代末まである種トレンドのように続いていきましたし、そこに畑さんや神前さんも多く関わっていた時代でしたよね。

続きましたね。で、2010年ぐらいに「このままだと体がもたないぞ」と思ったんです。仕事の仕方とか生活を改めないとよくないなってふと我に返って。

2010年に一度そのペースを抑えるようにしたんですね。

神前でも『ラブライブ!』ってそのあとですよね?

うん、でも『ラブライブ!』ではそんな地獄無理をしないように頑張っていこうと思って始めたので。

神前……それであの曲数ですか?(笑)。

(笑)。とりあえず、夜は寝ようと思った。

神前それは大事ですね。

昔は夜中まで仕事して、朝からやってる飲み屋とかに行ってたもん。

神前目黒にある飲み屋によく行ってましたよね。朝から開いているダメな飲み屋があって(笑)。

みんな集まってたよね。でも次第に「このままだと死ぬ」って思うようになっていって。

神前僕も『らき☆すた』をやったあとに『かんなぎ』があって、『化物語』があって……って、それが2009年くらいかな?

大変だったでしょ?

神前大変でしたね。『化物語』なんかは劇伴のほかにOPテーマが5曲とかだったから。それはそれでまた……。

2010年代に入っておふたりのタッグは減りましたが、お互いの活動は逐一チェックしていたりしたのでしょうか?

それはもちろん。仕事的資料収集で、「頑張ってるな、やっぱり馬車馬的に……」って(笑)。あとは「大丈夫かな」とは思っていました。心と体は大丈夫かなって。

神前皆さんそうだと思うんですけど、やっぱりどこかしら削ってはいましたよね。

神前さんも畑さんの活動はウォッチしていましたか?

神前そうですね。僕の場合は同じMONACAの田中(秀和)くんとかとお仕事をやっていただいていたりしましたし、あとはやっぱり『ラブライブ!』があったので。畑さんは仕事が多すぎるので全部は追いきれないですけど、自然と「あ、これも畑さんだ」って聴いていました。

ここ10年でのおふたりのタッグとなると、まずは2010年にリリースされたミルキィホームズの「雨上がりのミライ」です。

神前彼女たちのデビュー曲ですね。あのへんがいちばん記憶がないかもしれない。『ハルヒ』『らき☆すた』のときは、僕はそれしかやってなかったんですけど、それからいろんなお仕事をいただくようになって複数の作品を並行するようになっていったのが、2008年、9年ぐらい。かなり怒涛の勢いでしたね。

その後、2012年に『じょしらく』のOPテーマ「お後がよろしくって...よ!」で再度タッグを組みますね。

結構あとなんだね。私も意識が回復していた頃だ(笑)。

神前『波打際のむろみさん』で一緒になったのはそのあとか。

上坂すみれさんの「七つの海よりキミの海」ですね。これは2013年にリリースされていますね。

だいぶ人として回復してきた頃だね(笑)。

神前それが最後ですか?

そうだったっけ? たまにはご一緒したいですけど。

神前もう6年もご無沙汰ですか?

そろそろ一発やっときましょうよ。

神前なんだか熟年夫婦みたいですね(笑)。

今のお互いの感じで一緒にやるって、どうなるんだろう?

それは業界が期待しているところですね。ちなみに、リスアニ!が創刊してからの10年、おふたりのスタイルというものに何か変化はありましたか?

神前基本的には自分の好きなことをやっているだけなんですが、それがどんどん好きなことしかやらなくなって生きている感じですかね、僕自身は。

なるほど。

神前自分のピュアなところに向かうというか。若いときってアレも面白いコレも面白いってなんでも新鮮でね、いろんなものに食指が動くんです。でもだんだん好きのハードルも上がってきて、「これが好き!」っていうこだわりが出てきてしまって。あとは体力的に制作ペースはどうしても落ちてしまいますよね。

ひとつの作品を掘り下げていくと、当たり前だけどその作品に費やす時間が増えていくから、昔と同じような量はできないんですよね。掘る時間がほしいって思っちゃう。歌詞の場合だと参考資料として関わりのありそうな世界観を掘っていくし、本とかも全部読んでみたくなっちゃう。

どんどんやってくる球をすぐ投げ返す瞬発性というよりは、一度受けてじっくり噛み締めてから投げ返すようになってきているという。

そうですね。「この球場でプレイする意味は?」「この球場の由来は?」って調べたくなってくるんですよ。それが100%作品に反映されるわけじゃないんだけど、それを知っていることで出てくる言葉があるんじゃないかなって、可能性だけは広げておきたいなって思うので。

神前すごくわかります。

結果シンプルになるんだけど、それに対するアンテナを広げていろいろ検討したうえでのシンプルな一球を投げたいっていう気持ちが大きくなってきて。

神前そうなんですよね、だから装飾は減っていくかもしれない。

いろんな過程を通ってストレートを投げたいんですよね。自分の中のストーリーはちゃんとあるうえでストレートを投げたい。でもその過程はわからなくてもいいのかなって、自分がわかっていればこの球を投げた意味がある。今はそこに時間を使えるようになったので、それはうれしいですね。

アニメやアニソンなどのシーン全体が成熟していくなかで、自身も成熟していかなくてはならない。

うん、同じ自分じゃいけないなとは思いますね。

では、若手クリエイターについてはどう思われていますか? それこそおふたりの共通する人物だとMONACAの田中さんが挙げられますが。

面白いですよね。一緒に仕事をしていくなかで、明らかに成長が見られるんですよね。最初のときと違う、作品の展開の仕方も違うし、髪型も変わっていくし(笑)。

見た目の成長もですか(笑)。

「えっ、ヒゲ生えたの?」っていう(笑)。結構似合うなと思います。アート系のディレクターみたいで。

神前貫禄ついてきましたよね(笑)。彼はそのときの好みがすごく作品に反映されるので、変化は大きいですよね。

神前さんの2000年代の仕事に影響を受けた若手クリエイターは多いと思うのですが、現在活躍する若手の方々についてはどう思いますか?

神前すごいなって思いますよ。優秀ですね。自分とはまったく違うものを食べて育ったんだろうなってすごさもあるし、あとは僕とかがやっていた音楽から脈々と続いている部分もあって、それがうまく発展しているなっていう。孫が大きくなっていくような心境でもありますね。

わかる。すごいわかる。みんなすごく上手だなって思います。ほんとに優秀。私たちとは種族が違うなって思います。

神前そう。違うなっていうのは感じますね。

すごく良質なアニソンを聴いて育ってきたね、美味しいものをいっぱい食べてきたねって。豊かな感じがするんですよね。

たしかに2010年代型のクリエイターは、2000年代の豊かなアニソンを聴いて、アニソンを作りたくてこの業界に入ってくるという人が多いですよね。

そこに、豊かさを感じるんですよ。たぶん私たちは雑食だったんですよね。

神前ああ、そうですね。

アニメやゲームとは違うところから始まって、結果この業界で曲を作ってきたのが私たちで。

神前若い人たちもいろいろ聴いていると思うんですけど、いろんな良質な音楽を効率よく吸収しているなって感じがしますね。だから若いときにここまで完成しているのかなって。

たしかにネットやサブスクなど音楽を聴く環境も全然違いますからね。

神前そう、情報のインプット方法が芳醇なんでしょうね。でも、そんな若い子と我々が同じアニメという土壌に立っているのは面白いですよね。決して邪険に思ったりはしないですし、むしろ一緒にやっていて楽しい。たまに「負けた!」って思ったりもします。

いわゆるクラムボンのミトさんがよく口にする「ジェラる」というやつですね(笑)。畑さんもそういう感情はありますか?

私はそんなにはないかな。たぶん歌詞って結構その人の人生だから、それぞれが違いすぎてジェラってもどうしようもないかなって気がする。ただ自分もソロで作曲をするときは、ほかの作品を曲に焦点を当てて聴いたときに、「これは私にはできない……悔しい……」って思ってしまうことはあります。私がやりたいことを軽々とできているのは悔しいですよね。

神前なまじ同業だと手の内がわかってしまうので、「こうきたか!」ってなるんですよ。あまりに違うとジェラるレベルじゃなくなるんですけど。でも今の若手はいいですよね、キラキラした才能があって。

そうじゃなきゃ面白くないよね。

神前だから僕らの下の世代が出てきた2010年代当初っていうのはやっぱり刺激的だったな。

そうした怒涛の2000年代~2010年代を駆け抜けてきたおふたりですが、今度は平成から令和という新時代に突入します。

令和も楽しく遊びたいね、音楽で。今は結構いいペースだと思います。仕事をしつつ自分の曲も書きつつ、旅行に行けるっていう。

神前充実していますね。

でもその充実を実現するために、2010年ぐらいから9年ぐらいかかったわけじゃないですか。調整をするのに義務教育ぐらいはかかったなって。

神前環境づくりをするのに。

そう。環境づくりをするのに10年弱はかかったな。

神前思えば僕もそうですね。僕は一度体を壊してお休みしていたんですけど、あれから復帰して今まで、「同じような曲作りができるのかな?」っていう不安を持ちつつ、やり方を模索して5年ぐらいになるんですね。ようやくペースや環境づくりが見えてきたので、これから畑さんの域を目指していこうかなと(笑)。昔のスピード感では今はもうできないので、自分なりのやり方を作っているところですね。

仕事を受けすぎると結局元の生活に近づいてしまうので。ダメなときはダメと心を鬼にして断りながらね。

神前そうですね。

令和での、新しい環境でのおふたりの音楽というのに期待したくなりますが、やはり、おふたりのタッグをまた見てみたいですね。

ね! さっきも言ったけど、一発お願いしたいと思います(笑)。って……あれっ、これが締めになっちゃうの?

神前これは平成から変わらないノリですからね(笑)。

やばい! 仕事のスタイルは変わったのにそこだけは変えられなかった!(笑)。じゃあ令和の目標は上品路線でいこう!

神前それは無理な気がしますね(笑)。

無理ですか(笑)。ちなみにもしおふたりが再度タッグを組むことになった場合、それぞれどんな楽曲がやってみたいですか?

神前僕は詞先をやってみたいです。畑さんとはやったことがないので。

私は詞先がそもそも数少ないから。でもそんなこと言うと、100本ぐらい送りつけちゃうよ? 「どれがいい?」って(笑)。

神前それは……(笑)。ちなみに畑さんは普段から曲のついてない歌詞って書いているんですか?

趣味で詩は書いています。でも暗いのが多いから、一緒にやるなら明るい曲がいい。ほんわかするのがやりたいな。あ、神前くんは今やってみたい仕事ってある?

神前やってみたい仕事ですか……。今までやったことのないタイプのもの、基本的には新しいものに興味がありますね。そう思って実写ものもやったりしましたけど。アニメの中でも日常系のものが多かったので、そうではないものに興味がありますね。

私はやりたいことがあって、校歌をやってみたい。北原白秋みたいな、各地の自然を盛り込んで、学校の名前を連呼するっていうのをやってみたくて。

神前そんなこと言ったらオファーたくさん来ると思いますよ。

そうかな、やりたい!

神前あ、じゃあそれ一緒にやりましょう。

本当? やってみたい! 校歌で、先人たちの偉業を受け継ぎ、バージョンアップするのは大事だと思う。古風なものから現代ものまで、あらゆるニーズにお応えします……って、あれ、セールスみたいになってきた(笑)。

神前でも責任重大ですね。小・中学生とかの多感な時期に歌わせるわけでしょ?

そう。美しい日本語と美しいメロディを皆さんに届けたい。

神前お問い合わせはリスアニ!まで(笑)。

リスアニ!宛てに全国の学校からオファーが来ますよ(笑)。

じゃあまずはリスアニ!校歌みたいなのを作ったほうがいいのかな?

神前リスアニ!のイベントのときには最初にそれを歌って(笑)。

いいじゃないですか。なぜかドリフの合唱団みたいなのが思い浮かんじゃったんだけど(笑)。大人の校歌をぜひ!

神前「大人の校歌」ってまたやらしい響きですね(笑)。

あはは、そうかな~?(笑)。

Interview & Text By 澄川龍一

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