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2024.09.05

バンドとしての深化を見事に達成した、結束バンドのミニアルバム『Re:結束バンド』レビュー

バンドとしての深化を見事に達成した、結束バンドのミニアルバム『Re:結束バンド』レビュー

TEXT BY 日詰明嘉

結束バンドの特徴とアニメ放送後の大反響

結束バンドが新曲を発表するという知らせが届いた時、思い描いたのは期待感だった。結束バンドが他のバンドアニメと比べて際立っているのは、いずれもキャラクターが音楽通である点だ。後藤ひとりのギターヒーローぶりはもちろん、山田リョウの音楽的博識ぶり、下北沢のライブハウスで耳を養っている伊地知虹夏など、実力者のキャラクター性がすでに備わっている。そんな彼女たちであるから、実際に作・編曲家陣が楽曲を作る際にも下北らしさを全開にして提供できたことも大きい。そうした作中の設定と各楽曲のコンセプトにブレをきたすことがないよう、各作家陣やアレンジャーが作り込んだことでアニソンと邦ロックの高度な融合を果たし、一過性に留まらない評価を受けたのがフルアルバム『結束バンド』だった。

アニメ放送後、アルバムリリース後の反響は凄まじいものだった。初週チャート1位、日本レコード協会プラチナ認定、第18回声優アワード歌唱賞受賞、下北系ミュージシャンによる数々の賛辞。TV出演やワンマンライブ“結束バンドLIVE-恒星-”の開催などもあり、スタッフ陣もこれらの反響を噛み締めて自信を深めた。何より、映像作品としてキャラクター性を再確認し、バンドの方向性を確かなものにできたことが大きい。『劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく! Re:Re:』(以下、劇場総集編・後編)のパンフレット掲載のインタビューにおいて、音楽ディレクターの岡村 弦は「1枚目はわからない部分が多かったゆえの、“好きに楽しくやろうぜ”のノリ」と話している。と同時に、2枚目のミニアルバムに挑むにあたってのプレッシャーも感じていたようだ。編曲の三井律郎も「キャラクターの解像度自体が上がっているから、もっと色濃く形作っていかなきゃいけない」と語る。これに対して喜多郁代役の長谷川育美はプレッシャーを感じることなく「結束バンドの曲が大好きすぎて、もう、歌える楽しさ嬉しさしかない」(前出)と、前のめりの姿勢で取り組んでいく。本作出演までキャラクターソングとしてもロックボーカリストの経験がなかった彼女だったが、フルアルバム各曲のレコーディングでも周囲が驚くほどのポテンシャルを発揮し、その後、ワンマンライブ“結束バンドLIVE-恒星-”のなかで「歌っている最中からもう楽しすぎて、早々に“私、大丈夫”って思えたんです」(リスアニ!過去インタビュー参考)と、パフォーマンスに自信をつけ、“JAPAN JAM 2024”のステージでも堂々たるライブアクトを見せていた。それらの経験と実力がいかんなく発揮されたのがミニアルバム『Re:結束バンド』だ。

「原点回帰」をテーマに再結集した音楽制作チーム

岡村はミニアルバム制作にあたってのテーマを「原点回帰」だったと明かす。これは本編がシリーズの劇場総集編であることを踏まえたもので、改めて後藤ひとりの成長感を作中の時間軸に落とし込むかたちで作詞作曲が行なわれた。劇場総集編・前編『Re:』のOPテーマ「月並みに輝け」は、TVシリーズのOPテーマ「青春コンプレックス」と同様の作詞・樋口愛、作曲・音羽-otoha-、編曲・三井律郎と同様のトライアングルで制作。「青春コンプレックス」では冒頭ギターの3連キメでインパクトを与えるのに対し、こちらでは長谷川の澄み切った歌声で耳を奪う。この構成を可能にしたのはやはりここまでの長谷川のボーカルに対する信頼感あってのことだろう。そして何より“天才だって信じてた”というワードのチョイスだ。これまで数多青春ソングの歌詞が世に生まれてきたが、1フレーズでズバリと誰もが経験したティーンの全能感と挫折感を表現する歴史的名文句を挿してきた。
続くフレーズでも虹夏との出会い、2番ではバンドを組んで出した音の喜びを描くなど総集編としての物語を後藤ひとりの主観で描いていく。演奏においても瑞々しく暴れる自己主張のフレージングをプロフェッショナルなテクニックで叩きつけ、その間を切り裂くような言葉を、長谷川が声優らしい表現を駆使して言葉を立たせて意識を向けてくる。バンド内で作詞とボーカリストが分かれているのは比較的珍しいケースだが、長谷川は「この曲の場合は、後藤ひとりの書いた言葉を届ける喜多ちゃんとしての気持ちで歌っています」(前出)と話すように、喜多郁代であれば出てこない言葉を発することが、徐々に変化していくキャラクターの関係性も含めて二重構造を面白いものにしている。冒頭と呼応する最後も一節で後藤ひとりの自意識が込められている見事な歌詞だ。

劇場総集編・前編がシリーズの第8話で終わるのに合わせ、当時のEDテーマ「なにが悪い」を書いた北澤ゆうほが起用されて書いたのが、劇場総集編・前編『Re:』のEDテーマ「今、僕、アンダーグラウンドから」。「なにが悪い」は虹夏が歌うことを前提とした楽曲だったが、今回も負けず劣らず後藤ひとりの心境を腹の底から書き出している。劣等感の言葉を繰り返す内心の不安を赤裸々に表現しつつも、湧き立つミュージシャンとしての叫びにどうしても北澤自身を透過して見てしまう。「なにが悪い」は長谷川お気に入りの楽だったと語っており、この度、北澤の楽曲である「今、僕、アンダーグラウンドから」を歌うことへのモチベーションは非常に高かったもようだ。叫びの表現からの息遣いや落ちサビ~ラスサビの凛々しさ、切なさを経てまた叫ぶ様は余すことなく力を出し切った満足感で溢れている。アレンジもそれと同調するかのように常に裏でギターが暴れまわったりドラムの連打、軽快に転じるリズムなど、楽器隊としての聴き応えも十分。また、劇場総集編のラストシーンの虹夏のカットからそのままドラムで曲が始まったり、落ちサビでのアンプを通さないリフは本編で初めて後藤ひとりが押し入れで鳴らしたギターの音を再現したものであったりと、画的なギミックを音に入れていたり、作中の展開を明確に歌詞に落とし込んでいたりと、楽曲に多面的な深みを与えている。

キャラクター性を帯びたメッセージをいかに届けるか

劇場総集編・後編OPテーマ『ドッペルゲンガー』はTVシリーズ第8話の台風ライブで『あのバンド』のあとに披露していたはずの3曲目というオーダーのもと、新たに作られた楽曲。台風ライブの楽曲は『ギターと孤独と蒼い惑星』の失敗バージョンを別に録ったり、『あのバンド』には路上ライブでのインスト版があったりと、いずれも劇中曲要素が高い。劇場総集編・後編では前編との橋渡しのように回想として描かれ、大きなファンサービスとなった。長谷川もそのときのシーンにあった緊張感を意識して歌ったと話し、三井のアレンジにおいても、ブレーキが効かない後藤ひとりのギターの様子を入れるなど、ライブ感を再現した。楽曲は三井と旧知の作曲家・飛内将大によるもの。結束バンドの場合は作家陣やバンドマンなど、バラエティ豊かなソングライターに支えられており、それぞれの解釈が通常のバンド以上に楽曲に幅を持たせている。飛内はバンドサウンドに限らず多彩なジャンルをまたぐ膨大な音楽のストックを持ち、また音楽プロデュースのプロフェッショナル集団・agehaspringsで切磋琢磨している作曲家だ。そんな彼が本作アニメシリーズからインスパイアして作った楽曲。メロディの移動や2Cの展開など難度が高く、それだけ長谷川の歌唱力に可能性を感じて作られたことがうかがえる。歌詞は樋口愛が下北系の1つの側面である内省的な世界観の方向性を、後藤ひとりのパーソナリティから掘り下げて書き上げた入魂の一作。ギターヒーローである後藤ひとりの全能感と、それと相反する自信なさげな自我について、乗っ取られるかもしれないという不安感の表現で生々しく描いている。ここまで言語化できて発表できる勇気はむしろ強ハートのアーティストで、その点でやはり後藤ひとりは天才に違いない。そんな彼女の生々しい部分に触れて読み解き、台風ライブでの後藤のギターソロを観た後の体で歌うのが喜多郁代だ。「君と僕」ソングは、とかくリスナーの心に触れやすいものだが、そこにキャラクター性が備わると熱を帯びやすくなる。そのときの彼女の心境を思い遣るのもまたこの曲の味わい方の1つだろう。

「僕と三原色」は上記「ドッペルゲンガー」と同じ作家陣で作られた楽曲。「い・ろ・は・す」のタイアップ曲でもあり、また別の解釈により爽やかに仕上がった。三井によると、山田リョウがタイアップ曲に挑んだという二重構造でのアレンジだ。「文化祭に合わせた曲を作れた山田ですから、コマーシャル曲でありつつも、ロックバンドとしては譲らないみたいなような、せめぎ合いが出せたら」と語る<※公式インタビュー参考>。楽曲全体ではわかりやすいメロディが繰り返され、覚えやすく全体的に多幸感に満ちている。ドラムの手数も多くギターのリフワークも豊かで、間奏部分には各メンバーのコーラスが重なったりと、音の色彩も豊かだ。歌詞はここでも後藤ひとりの主観で描かれているが、先と異なるのはバンド活動をしていく中でのポジティブさや成長(あるいは成長痛)を感じさせるところ。メンバーを色に例えたり、“僕が僕じゃないみたい!”といった一節からも、シリーズを通じた解釈から生まれた楽曲で、個人的にはもう1つのEDテーマとして扱いたい。ちなみに絵の具でこの3色を混ぜると濁った色になるが、この光のこの3色の場合は白になり、歌詞にある“まっさらなキャンバス”のような未来に開けた可能性のある表現となる。長谷川は初期曲の頃から喜多郁代としての解釈はありつつも、無理にその声だけではなく自身の出しやすい声を使い、楽曲を引き立てるように歌っていたという。その中でもこの曲は喜多郁代としての側面が強く、Dメロのクリアな高音部はまさに天然水のようだ。アウトロに「青春コンプレックス」のイントロが入っていたりとアレンジの隠し味を探すのも面白い楽曲だ。

次のページ:劇場総集編のサブテキストとしての楽曲たち

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