夏川椎菜の9thシングル『「 later 」』は、一聴してわかる明確な喪失感を描いた彼女の新境地だ。「持たざる者」たちの先頭で旗を振り続けてきた夏川が、「持つ者」が何かを手離す瞬間を切り取る――その意図や制作過程について、本人に詳しく話を聞いた。
INTERVIEW & TEXT BY 青木佑磨(学園祭学園)
――リスアニ!では先日開催されたライブのレポートも掲載させていただきました。MCでは客席に向けて「私に自信をくれてありがとう」という発言もありましたが、現在の夏川さんの活動にはファンとの信頼関係が大きく影響を及ぼしていると考えていいのでしょうか?
夏川椎菜 100%それに頼り切っているわけではないですけど、受け取り手の顔が見えているからこそ出てくる言葉や表現は絶対にあるなと思っています。信頼関係があった上で好き勝手させてもらってるな、と。私が好き勝手やっている状況を面白がってくれる人たちが、客席にもスタッフにも多くいてくれてますね。
――信頼関係の先で受け手に優しくなる人と、むしろ表現のハードルが上がる人がいると思うのですが、夏川さんはどちらが近いですか?
夏川 優しくなっている感覚はないですね(笑)。どちらかというと「まぁ読み解いてくれるやろ」とか、今までやってこなかったこともわかってもらえるだろう、みたいな方向の信頼ですね。皆さんの懐に甘えさせてもらってます。
――楽曲の先鋭や歌詞の複雑さからはその姿勢が読み取れますが、それ以外のライブやアートワーク的な部分でも信頼関係に基づく要素はあったりするんでしょうか?
夏川 好き勝手やってるのは、むしろそっちのほうが多いかもしれないです。楽曲は受け取る対象がファンだけに留まらないことが多いですし、街やテレビで流れてきたり人に勧められて出会ったりすることもあるわけですし。私たちとしてはそういう人にもちゃんと刺さって、ライブに引きずり込みたい気持ちがあるので(笑)。だからやりたいことはやりつつ、新しい人も捕まえられるような魅力は絶対にほしいよねというのはベースとしてあるんですよ。MVやアートワークやライブは既に好きになってくれている人をメインに届くから、より濃いものを出せるなという感覚があります。流行りを考慮せずに動けるからこそ、自分の濃い部分が一番反映されてるかもしれないですね。
――ビジュアルやアートワークこそファンサ的になってしまいがちな側面もあるなかで、あまりその考えはないんですね。
夏川 そうですね。ファンサ的に「この衣装を着たら喜んでくれるだろう」と考えることもありますけど、あまりそれを選択することはないです。例えば“re-2nd”にしても開催すること自体がまずきっとみんなが喜んでくれるだろうなと思えることで、それ以上のサービスはあんまり考えなかったというか。衣装やMCでお客さんをキャーキャー言わすことは簡単なんですけど……(笑)。なんですけど、それを選択しなくても同じくらいの満足度は作れるっていう自信もあるし、ファンの皆さんに対する信頼もあるんです。ちょっと衣装を変えたり、MCでエモいこと言ったりっていうのが安易な選択に思えちゃうんですよ。一番最初に選ぶものじゃないし、大事なのはそこじゃないなって。
――なんと理路整然とした天邪鬼でしょう。あまりにも理論がしっかりとしている。
夏川 あはは(笑)。なんというかショートケーキを作るときに、あまおうを乗せることは簡単なんですよ。でもそれって「ショートケーキにあまおうが乗っている」だけじゃないですか。大事なのはショートケーキがどんなものなのか、米粉を使ってるのか生クリームにこだわっているのか、土台の方が大事なんですよ。「夏川椎菜が作るショートケーキってこうじゃん」がお客さんに伝わっていて、苺よりも土台を楽しみに来てくれているというのが最初に話した信頼関係の話に繋がるんだと思います。
――最新シングル『「 later 」』について、本作はどのような経緯で制作されたのでしょうか。
夏川 今回は本当に納期が短めだったんですよ。“re-2nd”のステージ上で制作を発表したんですけど、その時点では発売日も決まってなくて。だから7月半ばの段階ではまったくの白紙で、本格的に動き出したのが8月に入ってから。発売日まで3ヵ月もないなかで楽曲を集め、制作し、ジャケットとMVを撮り……というのを全部やらなくてはならなくて。それで各セクションの締切を逆算していったら、「今日にでも曲が上がってないといけない」ということがわかり(笑)。そこからスムーズにやり取りがしやすい作家さんということで山崎真吾さんとHAMA-kgnさんが第一候補に上がって、指名でお二人に表題とカップリングを作っていただくことにしました。信頼しているお二人だからテーマから丸投げにすることもできたんですけど、さすがに何かしらの取っ掛かりはあったほうがいいかと思って、10月30日発売が決まっていたのでその時点では「ハロウィンシングルです」と伝えて。もう少し大きく捉えて恐怖や不気味さだったり、そういった雰囲気の楽曲を揃えたいですとお願いして集まった中からの2曲になります。
――先んじて2曲とも聴かせていただきましたが、これってハロウィンシングルだったんですか?
夏川 そうなんですよ、元々は。色々あったんですよ!お二人ともハロウィンに則した楽曲も書いてくださったんですけど、2曲ずつ提出してくれて計4曲集まったんですね。どれもすごく素敵で、どれも表題にあり得るなという感じの中で「ハロウィンでいくならこの2曲だよね」という方向に行きかけたんですど……ハロウィンだからこれっていう理由で楽曲を選ぶのがすごくもったいない気がして。お二人とも正解100点のハロウィン曲と、別の角度からイメージを膨らませた120点の曲を作ってくれたからこそ、改めてハロウィンを取っ払って検討したときに120点同士が残っちゃったという。そこからはハロウィンのテーマはなくなりましたけど、不気味さだったり恐怖みたいなものはモチーフとして残して制作していったのが今回のシングルです。
――そのうえで、山崎真吾さんの楽曲を表題に据えたのはどういった経緯で?
夏川 4曲の中で色んな組み合わせで表題とカップリングを想定してはみたんですけど、単純に私が『「 later 」』をすごく気に入ったというのと、こういう楽曲でMVを作ることに夢を持ってしまって。あまり表題曲に選んでこなかったタイプの曲なんですよ。表題でMVを作るとしたらアップテンポで、画面が明るくても成立する、仕掛けが多くてわちゃわちゃした楽曲のほうが適しているなというのがあって。なんですけど、ここで『「 later 」』みたいな「これどうやってMV作るんだろうね」という難しい曲を表題にするのを、かっこいいんじゃないかと思い(笑)。自分で見てみたくなったんですよ、この曲でMVを作っている姿を。なのでそれをゴリ押しした結果の選曲です。だからスタッフ的には「ライクライフライム」のほうが表題になる可能性が高かったですね。そっちのほうが私も得意だし完成系も見えやすいけど、逆に『「 later 」』は曲調も構成も不思議だし、完成した歌詞も抽象的な表現が多めになりましたし。それでも挑戦してみたいという気持ちが勝ちました。
――『「 later 」』は一聴したときに構成もコード進行もメロディも意図的に取っ掛かりが外されている感覚というか、つまりどういう感情の曲なのかが音からは読み取りにくくなっていると感じました。こちらの楽曲の作詞作業はいかがでしたか?
夏川 作詞するうえでのタネ、モチーフにしようと思っていたのは「不気味さ、恐ろしさ、気味の悪さ、居心地の悪さ」みたいなジメっとした感情を表現できたらいいなと。でも楽曲を聴いているとすごく寂しげにも聴こえたんですよ。そんなに物語が進行する楽曲ではないというか、瞬間の、一瞬のことをすごく膨らませて歌うほうが合いそうだなと思って。なのでどの瞬間を切り取るかに視点を向けて、結果選んだのは別れの瞬間に考えること。別れるまでのすごく短い期間の話を書こうと思って始めました。
――世に溢れる喪失の楽曲は「失って気付く」のように美化されたものが多いなかで、『「 later 」』は手を離れる直前の一番嫌な感覚が歌われていますね。
夏川 そうですそうです、一番勇気がいるところ。別れを決意している時点でもう別れているのと同じじゃないですか。言ってないだけで、もう失くなっているのと一緒なんですよ。この歌は失くなった瞬間を描けたらいいなと。お互いが別れたことを認識した瞬間というよりは自分の中で失くなった瞬間、「思えばあのときもう別れてたんだ」みたいなものを描けたらいいなと思ったんです。
――それが非常に高い精度で成功しているからこそ、嫌な歌です(笑)。
夏川 そうなんですよ!まさしく今この状況にある人っていると思うし、この曲を聴くことによって気づいちゃう人もいると思うんです。
――「時既に遅し」に気づいてしまう。
夏川 そうそうそう。「私もう終わってたのかもしれない」って。そういう意味でこの曲を世に出すことにちょっと抵抗が(笑)。人の決断を促してしまう可能性があるなと。「私はぬるま湯にいたんだ」という心理を気づかせてしまって、何かを変えてしまうんじゃないかと。誰も触らずにいたらそのまま続いてたものが変わっちゃうんじゃないか、という恐怖はありますね。
――人と人との感情が緩やかに冷めていって、手を離す瞬間の歌というものに初めて出くわす人もいるでしょうね。聴き手によっては残酷に作用する可能性を秘めたモチーフですが……。
夏川 先にモチーフを見つけたというよりは、サビの最後の「おたがい」のところ。このメロディに何をはめるかで曲のテーマが変わってくるなと思ったんですよ。核になる言葉がここに入るなと。その言葉が不気味さや恐ろしさにどう掛かってくるかを広げていったら、「おたがい」がはまって。ここはもう「おたがい」以外にあり得ないな、ということは登場人物が2人いるな、じゃあ2人の間で気持ち悪い・気味が悪いこと、居心地の悪い瞬間ってなんだろうと考えて。それでどんどん膨らんでいった結果がこれなんですよね。メロディ的に完結はしていなくて、「さよなら」「ありがと」とかは絶対に入らないなと思ってたんですよ。4文字でふわっと「え、だから何!?」みたいな、その先は聴いてくれる人に委ねられるような言葉がよかったんです。だから「おたがいに〇〇」までは言わない。そこの気味悪さも感じてほしかったので。「互い」はもちろんのこと、「違い」のほうに私はピンときてるんだなとその時思って、それで別れをテーマにするのがいいかもというふうになりました。
――ご本人的に作詞作業はスムーズに進んだんでしょうか。
夏川 割とノリノリではありました。テーマはこれだ!と思ってからは、どれだけ嫌な構成にするかに尽力したので(笑)。すごく生ぬるーい、気持ち良くも悪くもない温度感の言葉をいっぱい並べたいなと思ったんですよ。あくび、ぬるま湯、生返事、みたいな温度感を感じてもらえる単語をたくさん考えて。
――正直、聴き手としては「筆が乗ってるなぁ」という印象を受けまして。
夏川 ははは!(笑)。そうですね、一度峠を越えてからは早かったです。
――実は風景やシーンがほとんど出てこなくて、ただずっと生ぬるい感情と言葉が描かれていますよね。
夏川 「風景を描写しない」は割と意識したところですね。とにかく内面を見つめている曲にしたいと思って。視界の先が自分自身しかない、みたいな。心の部屋の中で自分の手のひらだけを見つめているような。記憶だけを探っているみたいな感覚にしたかったんですよ。急にここで車とか、風とか、景色とかが出てきてほしくないなって。
――確かに、風はいらないですね。空気に入れ替わってほしくないし、澱んでいてほしいです。
夏川 そうなんですよ。風景とかを入れてしまうと時間の流れがどうしても出てきちゃうんですよね。「風が止む」も時間が経ってしまっているし、どうしても瞬間のことを書きたくて。別れというものを意識したその一瞬、それを切り取りたかったので時間の流れが不要だと思ったんです。
――MVの映像イメージもありきなのかもしれませんが、映画の表現などで見かける「止まった時間の中を移動する時のモタついた感覚」、水中を移動するとか嫌な夢を見ているときのような空気の動かなさを感じます。
夏川 うんうん、そうか言われてみれば確かに。MVの話になるんですけど、今回「動きたくない」というわがままを言わせてもらいまして。曲を表現する上で自分が動くイメージがまったく湧かなくて、MVとしても画面が激しく動いてほしくないなと思って。なぜかと聞かれたときには「なんでだろう?」としか言えなかったんですけど(笑)。でもそういうことなのかもしれないです。時間の流れとか、そういう概念のところにない曲だから。
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