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INTERVIEW

2024.04.17

夏川椎菜は戦い、愛を歌う――8thシングル「シャドウボクサー」リリースインタビュー

夏川椎菜は戦い、愛を歌う――8thシングル「シャドウボクサー」リリースインタビュー

夏川椎菜のアーティスト活動を知る人ならば、彼女が自身の作詞した新曲で「愛」について言及することがどれほどの事件なのかは伺い知れるだろう。胸中に渦巻く本音を包み隠さず歌にしてきたアジテーターが掴み上げた愛とは、いったいどんな形をしていたのか。そしてその決断に至ったいきさつとは。自身の名前を冠したイベントの開催を目前にした彼女に、大きな岐路を迎えた創作活動についてじっくり語ってもらった。

INTERVIEW BY 青木佑磨(学園祭学園)
TEXT BY 市川太一(学園祭学園)

ライブを経て作られたニューシングル

――8thシングル「シャドウボクサー」について話を伺うにあたって、まず昨年からのツアー「夏川椎菜 3rd Live Tour 2023-2024 ケーブルモンスター」を経て、現在の夏川さんはどんな感じですか?

夏川椎菜 ツアーが終わってからもシングルの制作を含めてあれこれ動いていたので、気がついたら今日まで来てましたっていう感じですね。

――ツアーの初日を見させていただいたのですが、前回のアルバム『ケーブルサラダ』のインタビューで、「I Can Bleah」について、メンタルクソザコナメクジのみんなにもクラブミュージックで踊ってほしいんだと宣言していたと思うんですが、蓋を開けてみたらブートキャンプになっていました。あれは何が起きたんですか。

夏川 ツアーのリハ中に、今回のセトリだとその場のノリで楽しむような楽曲って「I Can Bleah」なんじゃないか?という話になって。この曲をアドリブで公演ごとに少しずつ違う色が見せられるポイントにしたいと思い色々考えてもらった結果、あの形に落ち着きました(笑)。

――ということはその後の公演でも変化していったんですか?

夏川 公演によってはその前のMCの流れを汲んでみたり、本当に打ち合わせなしで全然別の曲がアドリブで始まったりいろいろなパターンがありました。今回のライブは楽しさもありつつ、ストイックに流れていくようなセットリストだったので、後半の怒涛のブロックに入る直前の「I Can Bleah」でそういう遊びを入れたら面白いかなと思ってやりました。

――私はツアー初日の直前に“リスアニ!LIVE 2024”でトリのTrySailも見ていたんですが、あっちもすごかったですね。「リスアニ!RADIO」でも話したんですけど、あのステージはとんでもなかったと思います。2日目の大トリともなれば、見た人みんなが何かしら想いを胸に、今のアニメ音楽って、ライブってこうだよねって温かな気持ち帰ると思うんですけど、客席もMCも全員なんにも考える余裕がなかったです。

夏川 あの日はみんな駆け抜けましたよね(笑)。あの出演者たちが揃っている“リスアニ!LIVE”で、我々3人がトリを任せてもらう意義を考えた結果、とりあえずハチャメチャにすればいいんじゃないか?ってことになって。“リスアニ!LIVE”は我々を知らない人や初めて見る人もたくさんいるだろうから、今回くらいの多めの曲数をやらせてもらえるなら、お洒落な曲も正統派の曲もやってるんだぜ!っていうのを見せられるように組んだセットリストでした。

「シャドウボクサー」は孤独に戦う

――そういったライブを経て制作された「シャドウボクサー」、こちらは田淵智也さんの提供曲で、「417の日」リリースというメモリアルなタイミングですが、狙ってのことなのでしょうか?

夏川 すごく狙ったというより、色んなタイミングが合った結果です。シングルを作りたかったところに4月17日が水曜日だって気づいて、じゃあ曲どうしようかと悩んでたときに、実はこの「シャドウボクサー」になる1コーラスくらいの田淵さんのデモ曲が、私が仮歌詞を書いた状態で1年くらい前から手元にあったんです。あとはフルサイズで正式な歌詞を書いて録るだけという感じで、だから出すならここだろうということで決まりました。で、せっかくフルで作るならばと思って、歌詞も全部書き直しました。

――一度作ったものを崩して書き直すのって難しいと思うのですが、夏川さんは歌詞のリライトは得意ですか?たとえ仮の歌詞でも、そこに自分の中でのキラーフレーズってあったと思うんです。それを捨てるとなると覚悟がいるんじゃないかと。

夏川 やっぱり苦労はしました。でも仮歌詞の段階でも私自身の言葉で表現するのは大事にしていたので、お借りした材料で自分の料理を作り直しても、結局カレーであることには変わりがないみたいな感覚でした。でもリズムに関しては大変でしたね。作詞する時に自分でメロディを歌いながら、ハマりがいい歌詞を選んでいくんですけど、ここまでメロディが畳み掛けてくると、使える言葉が限られてしまって。

――歌詞も紙資料でいただきましたけど、普通こんなギチギチなことないですよ(笑)。

夏川 ですよね。だいぶ頑張って詰めてくれたんだなっていう。これは完成品として歌詞カードに載せるのと同じ文字量なんですけど、繰り返しの部分とかを削ってあるので実際の曲中ではもうちょっと長いんですよ。削ってこの量です(笑)。

――これは印刷物で見たいですね。

夏川 バランス良くデザインしていただいたので違和感はないんですけど、「シャドウボクサー」の歌詞を見たあとに「労働奉音」の歌詞を見ると「あれっ、短い?」てなります。いや全然短くはないんですよ。でも「あれっ」ってなる(笑)。フルサイズになって単純に早口言葉の部分が増えたから、同じリズムで意味的にもあまり遠くない言葉を、別の切り口で引っぱり出さなきゃいけなくて、1番のAメロが歌詞カード上では4ブロックありますけど、そこに2番で2ブロック追加して合計6ブロック分の歌詞を書くのは大変でした。

――でもかつての夏川さんだと、この量の皮肉的な表現を聴くのは力ずくでバットを振り回してるみたいで正直しんどかったと思うんです。それが今は自分が攻撃したい標的とか攻撃方法みたいなものが明確になってきていて、急所を的確にナイフで刺してくる感じになり、言葉遣いの軽さも含めてポップに聴ける曲になっている気がします。

夏川 言葉選びも大人になったのかもしれないですね。あとこの曲のリズムやメロディのおかげでもあると思います。強い言葉を使っても軽快に流れていくので。

――「シャドウボクサー」というタイトルはどのタイミングでつけたんですか?

夏川 フルサイズの作詞をした時です。デモの仮作詞の時点で、この曲の雰囲気的に「パンチ」はマストで入れたかったんです。この“空気なんか パンチパンチ”っていう言葉がいいなと思って。みんなが読んでる空気ってやつにパンチしてる感じで、その姿って虚空を殴ってる、つまりシャドーボクシングしてるようだなあ、「シャドウボクサー」っていいかもって決めたんです。

――「シャドウボクサー」というタイトルは、自分1人で存在してるかもわからないものと戦う人って意味にも取れますよね。

夏川 そうですね。結果的にはそういう意味や「手応えがなくたっていいじゃん」って考えにもかかってきてます。私が曲名を付ける時は、自分のキャラクター的にもあまりかっこいい響きや意味の言葉がしっくりこなくて、なるべくそこは外したいと思っているんです。以前作った「RUNNY NOSE」という曲もまさしくそうで、響きは一瞬かっこいいけど、意味はダサくあってほしいんです。今回もそういう言葉を探していて、シャドーボクシングを生業にしている「シャドウボクサー」って、響きはかっこいいけどよく考えたらダサいよなみたいな、そのバランスが私の好みにハマりました。

――夏川さんらしいですよね。誰とも戦ってないというか、それこそ今のインターネット社会だと、目の前に敵なんかいないことの方が多くて、誰かもわからない意識の集合体に対して怒ってるみたいなことがありますし。そういう悩みを持っている現代の若い人にとっては、それを軽やかに歌ってくれる先輩がいるのは心強いと思います。

夏川 Aメロとかでは結構皮肉も言っていますけど、「こいつだ!」っていう特定の敵がいるわけじゃなく、なんとなく私が敵だと感じているゾーンや空気みたいなものに対して「それってどうなん?」ってパンチをしてるイメージの曲にしたいし、それが伝わってほしかったので、「シャドウボクサー」という題名は私の意図を的確に伝えられる良いタイトルだなと思っていますね。

――そのうえで曲全体の方向性やレコーディングされたボーカルはすごく軽やかですよね。今も現在進行形で悩んだり怒ったりしてるけど、それを一度ちゃんと越えたことがある人の言葉に聴こえます。しかもあんまり重苦しくもない。ご自身で歌に意識はされましたか?

夏川 正直そんなに意識はしてなかったんですけど、でも自分でなんか軽やかに歌えてるなっていう気もしますし、歌詞の言葉選びも無意識にトゲが丸くなるように書いている印象はあります。「シャドウボクサー」の歌詞の方向性って、ソロの初期に書いた「ステテクレバー」などと方向性は同じなんですが、あっちはやっぱり言葉のトゲが鋭いんですよね。どっちも等しく当事者として歌っているけど、「シャドウボクサー」がちょっと高いところから見てる感じなのは、まさに私がそういうふうに人生を辿ってきたからかもとは思いますね。『ケーブルサラダ』を経て、改めて「ステテクレバー」みたいなことを歌ったら、今の私の目線ではこうなったというか。

「愛」を歌わざるをえなかった

――普段だったら絶対こんなこと聞かないんですが、この曲についての夏川さんにだけたずねさせてください。「愛」とは?

夏川 それはやっぱり気になりますよね(笑)。

――この曲の中の彼女が折れずにいられた理由ってすごく重要だと思うんですよ。リスナー全員にとって同じである必要はないですけど、少なくとも彼女が、実在するかもわからない敵に対して拳を振り続けられる理由がなんなのかは気になります。

夏川 この曲で書いた「愛」って、誰かとの恋愛なこともあるし、友情の愛なこともあるし、かと思えばもっと概念的な、慈愛とかアガペ―みたいな、人間が生まれてから今日までなぜか脈々と存在していた概念みたいなものを言葉にすると、結局「愛」になっちゃうなぁと思ったんです。この曲は最後に暑苦しいことを言って終わりたいという願望がデモの時点あって、そこで選んだ言葉が「愛」だった。多分私はこれまでの作詞でこんなに「愛」を使ったことってないんですよ。あんまりそういう、抽象的でよくわからないものを言葉にして歌詞に組み込みたくないっていうポリシーがあって。「かわいい」「かっこいい」「ごめんね」「ありがとう」とかもなんですけど、「愛」ってそういう、言ってしまえば誰もが知っていて、色んなものを内包してしまえる簡単な言葉の代表だと思ってるんです。

――怒っている理由は言うけど「怒り」というワードは使わないみたいなことですよね。

夏川 そうです。自分のポリシーとして気をつけてたんですけど、今回は逆に「愛」という言葉を使いたくなった。こうやって色々グチグチと、自分がモヤモヤしている部分を全部言語化して皮肉って、じゃあそれを解決したり、気にしないように生きる方法とは?って考えた時に、もうしゃーない!これは「愛」しかない!確証はないが「愛」って書かなきゃいかん!みたいな感じで。最後のサビなんかはその気持ちが全部出ているんですけど。

――このサビすごいですよね。まさしくこれで合ってるのかまだギリギリわかってない人の言葉ですよ。

夏川 これはもう私自身の思ってたことですね。まず田淵さんがくれたこの曲にハッピーエンド感があって、この長ったらしい皮肉を最後にどうにかいい話風味で解決せねばという意識だけがあって、皮肉だけで終わらせてしまったら、それこそ昔の歌詞の焼き直しになってしまうから、少しでも前進するために「愛」という言葉を使ってみよう。自分の中でまだ釈然としないけど、でもおそらくこれは正しいからみんなとりあえず聴いてくれ!みたいな。

――愛というワードが自分の手の届く範囲にはずっとあって、今「これ使っていいのか……?」と思い始めたと。

夏川 そうですそうです。「ついに私も触っていい時期が来たか?」みたいな。私はこの言葉に触れていいところまで来たんだ、でも真っ直ぐには叫べない。「最後に愛が勝つ」なんて私には歌えないぞって。

――事前にたくさんのエクスキューズを置くことで、愛って言ったことを許してもらうような感覚ですかね。夏川さんは年下のリスナーも増えてきてると思うんですが、人生の先輩がこんなふうに「愛」という言葉1つ使うだけで大慌てしている様子って、とても素敵だと思うんですよ。「あ、人って5年10年経っても全然大人にはなれないんだな」って10代の子が思ってくれるのはすごくいいと思います。

夏川 愛が生きてりゃどうとでもなるとか、そんな冗談じみた展開あるかよと思っているんですけど、でもこの年になるとそれがスッと腑に落ちるようになってきてるんです。色んな物事に対して思うことがあって、何回も投げ出したいと思ったりするけど、それでも私が今ここに立って頑張っていられるのは、誰かの愛のおかげだったりして、結局言葉にまとめるなら「愛」じゃん!みたいな。全然釈然としないしこの言葉一生使いたくなかったのに使わざるをえない!みたいな。

――今後も頻繁には使わないでしょうけど、どう使うかが肝になってくるんですかね?

夏川 今思えば「ユエニ」でもひたすら愛とか言ってたんですよ。でもあれは自己愛とかの方向の「愛」ですね。

――「ユエニ」はまさに愛ゆえにの怒りやこじれが発生してると思うんですけど、「シャドウボクサー」は結論の地点に愛があるんですね。

夏川 こんなに前向きに愛について言及するのは多分初めてです。あと歌詞で最後まで悩んだ部分というか、対象を限定した部分があって、これまでなるべく聴く人の年齢性格性別に関係なく受け取ってもらえる歌詞を意識していたんですけど、今回ほぼ初めて、2番の後半は女性をイメージして歌ってるんです。そこはちょっと勇気を出した表現ですね。

成長と敗北に向き合う美学

――MVも華やかな衣装で戦い、そして負けるという映像。全部ひっくるめて曲に沿っていてとても良かったです。

夏川 監督からの最初のアイデアの時点で、今回はボクシングがいいと思いますと言われてました。私も「シャドウボクサー」って曲でボクシングしないのはさすがに無理があるよなあと思って。でも最初にいただいた案では、勝てなかった人が修行をして強くなって最後に勝つみたいなサクセスストーリーになっていたので、最後だけはサクセスにしないでくださいとお願いしました。成長するって過程はいいんですけど、成長しても最後は勝てないところに、シャドウボクサー的美学があるような気がして。

――かなり夏川さんらしさの集大成になっていますよね。

夏川 この「シャドウボクサー」を通して一番伝えたかったのが「手応えなくたっていいじゃない! やっちゃえよ」という言葉なんです。何かを恐れて行動に移せなかったり、ちょっと引いてしまっている人が世の中にはたくさんいて。そういう人たちって何が怖いのかって考えてみると、独り相撲になったり、シャドーボクシングをしてしまったり、自分の努力とか挑戦が無駄になったりと、ゼロになるのを恐れて行動できないんだと思うんです。そういう人に対して、私はこんなに無様に負け続けても、努力が実らなくても、晴れやかに歌ってるぞ、晴れやかに負けてるぞっていうところを見せたくてこのMVを作りました。

――夏川さんは今も負け続けていると感じているんですか?

夏川 もしかしたら傍からはそうは見えてないかもしれないんですけど……。やっぱり自分が思い描いていたようなステップは全然踏めていないなと思っています。何歳までにあれをやってこうなってみたいな、子供の頃から成長するうちに思い描いていた成功だったり、もっと近いところだと何かをやってすごくバズったりとかって、誰もが想像すると思うんですけど、その通りにはならないというか。自分の想像よりいつもちょっと低めの結果で終わるというか。私がどっちかというとそういう良い妄想を先にしてしまいがちなんですけど。この曲を出したらみんなたくさん聴いてくれてMVも5000万回くらい再生されて、夏川椎菜の名前が世界に轟くだろうみたいな。夢みたいですけど、そう思って制作するのってポジティブなことじゃないですか。その結果いつもすごくいい評価をいただいたり、満足してもらって、「それでいいじゃん」っていう終着点にはなるんですけど、でもやっぱり自分の中で、もっと上の“if”もあったんじゃないかな、どこかで何かがちょっとでもズレたらバタフライエフェクト的な別の未来もあったんじゃないかなって、勝手にちょっと負けた気になるというか。無限の可能性に対して、その中の平均的な1つの道を通ってしまったんじゃないかと考えてしまうんです。

――物語の中の「1周目のルート」を通っている感じですかね。

夏川 選択肢を1つも間違えず、全部トゥルーの選択肢を選んでたら隠しルートに行けたんじゃないかみたいなことを考えちゃうんですよね。基本的にはずっとハッピーエンドなんですけど、スペシャルトゥルーエンドがあったんじゃないかっていう意識が、音楽活動に限らず自分の人生すべてにおいてあるんです。世の中で私だけが与えられたチャンスの中の平均値を積み重ねて生きているって、実際はそんなわけないとも思ってますけど、でも私の目に映る他の人って、スペシャルトゥルーの選択肢をずっと選び続けている気がしちゃうんです。戦ってるのはあくまで自分自身で、他人は関係ない自分の物語の中で勝負をしてるんですけど、比較対象が他人だから「なんか負けてる気がする……」みたいな。

――実はずっと夏川さんの隙間産業的なアーティスト感覚と、そのビッグトゥモロー感が私の中で噛み合ってなくて、何が原因なのか考えてたんですけど、多分世の中のほとんどの人は1パーセントなんてどうせ当たらないだろうと思いながら宝くじを買っていて、夏川さんはその1パーセントに当たるかもと思いながら買ってるんです。だから夏川さんは外れた時に「当たらなかったか」って思ってしまう。

夏川 そうですね。多分そういう人生の捉え方をずっとしてきてるから、こういう歌詞を書くんだと思いますし。自分の人生に対して設定してるスペシャルトゥルーエンドがすごく高くて、めちゃくちゃナルシスティックかもしれないけど「いや私こんなもんじゃねえなぁ」って心のどこかで思ってるんですよね。

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