INTERVIEW
2023.12.22
これまで数多くのアニメ作品やアーティスト、声優などの楽曲を制作し、同時に現在のアニメ音楽シーンで活躍するアーティストやクリエイターを擁する音楽事務所・スマイルデイズ。同社がおよそ2年ぶりとなるオーディションを開催する。
過去にはsajou no hanaのsanaを発掘するなどの実績を持つ同社のオーディション、今回は作詞家や作曲家など、クリエイターをメインに募集!そんなオーディションの審査員であるクリエイターたちから、作詞家のPA-NON、喜介、辻 詩音に集まってもらい、自身のキャリアから歌詞を書くことについて語ってもらった。このインタビューを読んで、我こそは!と思った方は、募集要項を読んでぜひ応募していただきたい。
INTERVIEW & TEXT BY 澄川龍一
■PA-NON(ぱのん)
2008年にNEWS「STARDUST」で作詞家デビュー。
KARA「ミスター」を始めとするK-POPやJ-POP、アニメ系に至るまで幅広いジャンルで活躍しており、作品の世界観に寄り添った耳心地の良い歌詞に定評がある。現在は新人育成にも力を注ぎ、作詞講師として多くの作家を輩出している。
代表曲
KARA「ミスター」(共作)
ラブライブ!蓮ノ空学院スクールアイドルクラブ 「Legato」
IDORY PRIDE 星見プロダクション「Gemstones」
Sparqlew「Stay Gold」
神谷浩史「Higher」
■喜介(きすけ)
バンドやシンガーソングライターで活動をし、作詞活動を始める。2013年、声優・伊藤かな恵『オーロラ』で作詞家デビュー。
心象や情景描写などの日本語詞表現を大切にし、声優・アーティストなど数多くの作品を提供している。
代表曲
・神谷浩史「シアター」
・マクロスΔ ワルキューレ「ワルキューレは裏切らない」
・超特急「fanfare」
・岬なこ「スイートサイン」
・re Kiramune☆All Stars「Endless Notes」
■辻 詩音(つじしおん)
2008年、歌手デビュー。
これまでにテレビアニメ「BLEACH」EDテーマ(18期)、「東京マグニチュード8.0」、「ソウルイーター」などのアニメ他、映画「わたし出すわ」(森田芳光監督)など数多くのテーマ曲を担当する。シンガーソングライターとして活動しながら、近年では作詞家として音楽活動の幅を広げている。
代表曲
・井口裕香「ツナガルミチ」
・神谷浩史「Re-answer」
・SparQlew「マジックアワー」
・岬なこ「Light Me Up!」岬なこ
・辻詩音「Sky chord~大人になる君へ~」
――この度、スマイルデイズによるクリエイターオーディションが開催となりました。同社では2年前にアニソン関連の幅広いオーディション「アニメ音楽のこと!マッチング・オーディション2021」を行っていましたが、代表の甲さんとしては一昨年の手応えはどう感じてらっしゃいますか?
甲 克裕(株式会社スマイルデイズ代表) 実際にやってみて、とても良かったと思いましたね。前回はとにかく“音楽好き集まれ!”みたいな感じで行い、シンガーからクリエイターまで広く募集させていただいて、そこから今後デビューを予定している子も出てきたりと良いご縁があったオーディションになりました。前回のオーディションでアーティストは結構実りがあったので、今回はクリエイターを募集させていただこうと。うちにも多勢の作家が所属していますけど、そこをしっかり底上げをしたいなという想いがあり、今回はクリエイター募集というところで実施することになりました。
――前回のオーディションでいうとPA-NONさんが審査員として参加されましたが、審査した感想はいかがでしたか?
PA-NON 先ほど“音楽好き集まれ!”という言葉がありましたけれど、本当に色んなタイプの方が集まられて、作詞に関しても学生さん、高校生くらいの子から、私の先輩くらいの世代の方まで様々な年代の方が応募してくださったんです。なので私にとっても色んな歌詞に触れられたなと。貴重な機会でしたね。
――幅広い世代からの応募となると、審査基準も様々でしたか?
PA-NON そうですね。どこを軸に、どこを基準にジャッジしていけばいいのか?というのは、すごく悩むポイントでしたね。即戦力として活躍できる人なのか、それともアドバイスをしたら伸びるような感受性の部分でジャッジしたらいいのか、この部分は審査していて楽しくも悩ましいところでした。
――さて、そんなPA-NONさんに加えて、今回は喜介さん、辻 詩音さんにもお話をお伺いできればと思います。まずはオーディションのお話を伺う前に、皆さんの作詞家としてのキャリアをお伺いできればと。PA-NONさんは以前お伺いしたことがありましたが……。
PA-NON 私はいいので、今回は2人の深堀りをぜひ!前回のインタビューのリンクを貼っていただければ(笑)。
――では、まず喜介さんに、音楽を始めたのはいつ頃でしたか?
喜介 最初は中学校のときに、同じクラスの友達と作詞作曲を始めて。で、そこからバンドでライブハウスなどで活動していた、みたいなところがスタートですね。
――大体バンドを結成したらカバーからというのが定石ですが、オリジナルからスタートしたんですか?
喜介 はい、カバーをやったのが後でした。文化祭とかでライブをやるときは知っている曲じゃないとみんな喜んでくれないからカバーをやる、みたいな(笑)。
――そのときに担当していたのは?
喜介 ボーカルとギターですね。作詞も作曲もやっていました。でも、作詞は元々すごく苦手で、どちらかというと曲を作ったり歌ったりするのが好きだったんです。歌詞を書かないと曲が仕上がらないから早く終わりたい……みたいな感じで、作詞はあまり好きじゃなかったんですよね(苦笑)。苦手意識は20歳くらいまで続いていました。
――意外といいますか、これは応募する方にもヒントになるかもしれないですね。続いては辻さんのキャリアのスタートを教えてください。
辻 詩音 私は一人っ子だったので、家で親の帰りを待つことがすごく多くて。それで5、6歳の頃にノートをとペンだけ渡されていたんですけど、そこに絵を描くんじゃなくて、歌詞を書き出していたんです。その歌詞を書きながら歌って暇つぶしをしていて、それが音楽を始めるきっかけでした。
――そのときすでに歌モノの歌詞として書いてらっしゃったんですか?
辻 そうですね。最初からサビがあったりとかして(笑)。
PA-NON えー、すごい……!
――そこから自然とシンガーソングライターとしてのキャリアに向かっていくわけですか?
辻 楽器を始めたのは15歳くらいなんですけど、それより前はノートに歌詞や架空のセットリストを書いたりしていました。暇すぎて(笑)。
――対してPA-NONさんが作詞家になるきっかけも、お二人とはまた異なる入り方ですよね。
PA-NON 私の場合はまったく別の仕事をしていたんですが、たまたま出入りしていたパチンコ業者で、曲を作るのにお願いしていた作詞家さんが直前にお断りしてきたというタイミングに居合わせて。代わりを探していたところで、「やってくれないか」という相談をいただいたことがきっかけでしたね。原作者さんの指定で女性じゃないといけなかったらしくて、「じゃあやってみます」となったのがデビュー作なんです。そこからしばらくして、作詞講座をやっている作家事務所さんに通ってプロになり今に至る、という感じですね。
――音楽への入り方は千差万別であるというのがここだけでも十分すぎるほどわかりましたが、そこから今のお仕事へどう繋がっていったのか。喜介さんはそれこそ、苦手だった作詞を現在の生業とするようになったわけですよね。
喜介 20代のときに、事務所にお世話になっていた時期があったんですよ。そこで何曲も書いては何度もダメダメ、と言われ続けて。ダメ出しをされる方が歌詞にこだわりがある方だったんですよね。それで同じ曲を、半年くらい書き直し続けるみたいなことがあって。
――半年ですか!?
喜介 はい。1週間おきにダメ出しがあったんですが、細かいところのダメ出しがあったり、全部変えなきゃいけないこともあったり。しかも「ここが悪い」みたいなリテイクじゃなかったので、「どこが悪いんだろう?」みたいなことを考えながら、何回も直さなきゃいけないことがあったんです。
PA-NON ええ~……すごいなあ。
喜介 辛かったんですけど、歌詞についてよく考えるきっかけにもなったし、当時はレンタルCD屋に行って、歌詞がすごいって言われてるような人たちのCDをたくさん借りて研究していました。だからそのとき、その人と戦うために色々と作詞を勉強したんですけど、それが糧になっているんですよね。
――その作詞千本ノック的なものが今に活きていると。そこから作詞家というキャリアに進んだきっかけは?
喜介 そのあとに、またしばらくアマチュアでバンド活動をやっていくなかで、作曲部門の審査員でもある渡辺(拓也)くんと一緒にバンドをやっていた時期がありまして。それが僕の最後のバンドだったんです。それで一緒に曲を作ったりしていたこともあって、渡辺くんが提供で曲を書くとなったときに、僕の歌詞が面白いから書いてみたら?と言ってくれて、そのデモに仮歌詞を書いたんです。そしたら翌日に偉い人から電話かかってきたんですが、「来週までに2パターン書いて」と言われて、それが作詞家としてのデビュー作になったんです。こういう形で喜んでもらえるものが自分にもあったのかと、すごく嬉しかったのを覚えていますね。
――続いて、辻さんは10代の頃からシンガーソングライターとしてデビューされていましたが、そこからいわゆる作詞家として人に提供するようになったきっかけはなんでしたか?
辻 それこそ6歳くらいから自分の物語だけを書いてきたんですけど、自分だけではなくて人の物語を書きたいというか、すごく人のこと考えたくなった時期があったんですよね。自分では使えない言葉、似合わない言葉がたくさんある。でも世の中には使いたい言葉がたくさんあって、それで自分以外の方に歌ってもらいたい、作詞をしてみたいって思ったのがきっかけでした。
――明確に誰かに歌詞を書きたいという想いがあったと。
辻 私も渡辺(拓也)さんに自分の曲のアレンジをしてもらったことがあったんですが、そこでそういう話をしたら、甲さんを紹介していただいたという流れです。
――実際に人に歌詞を書くという経験はいかがでしたか?
辻 例えば自分の曲だったら、自分に起きたこと、自分が感じたことを書くんですけど、ほかの方だと、そこに感情を入れるために何から始めたらいいかなって思ったときに「調べる」ことに辿り着いたんです。その方のことをめちゃくちゃ調べて、ファンになる。そして好きになったときに感情が動くので、そのときに、例えばもしその方が日記を書いていたらという視点で入って、「こういう言葉を使うのかな?」ってイメージしていくんです。あとはそこにファンである自分の視点も入れて、もしかしたらこういう言葉は使っていないかもしれないけど、あえてこの方の声で聴いてみたいなという言葉を入れたりしています。
――そうして書いた歌詞を歌っていただいたときの感想はいかがでしたか?
辻 ライブとかで聴いたときの感動がすごくて。自分の曲だと粗探しをしちゃうことがあるんですけど、提供したものはただただ嬉しくて、何度もリピートできる曲が増えていくことが幸せですね。
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