REPORT
2023.11.25
水瀬いのりが今年9月から10月にかけて5都市を回ったライブツアー“Inori Minase LIVE TOUR 2023 SCRAP ART”は、彼女とファンにとって間違いなく忘れられない体験になったはずだ。そこにはいくつもの特別があった。第一に観客の声出しが解禁されたこと。彼女のワンマンライブに歓声が戻ってきたのは、2019年6月の日本武道館公演以来、実に4年ぶりのこととなる。そして様々な趣向を凝らしたステージ演出。舞台全体を囲うような大型スクリーンと映像を駆使したステージングは、楽曲の世界観により深く没入できるものになっていた。さらに大きいのが水瀬自身のパフォーマンスの進化。アーティストデビュー8年目を迎え、今や逞しささえ感じさせる彼女の“今”が集約された本ツアーより、10月29日に神奈川・ぴあアリーナMMで行われたファイナル公演のレポートをお届けする。
PHOTOGRAPHY BY 加藤アラタ、三浦一喜
TEXT BY 北野 創
今年9月にリリースされたばかりのニューシングル「スクラップアート」と同じタイトルを冠した今回のツアー。撮りおろしのツアービジュアルでは、全身黒のストリートファッションに身を包んだ水瀬が山積みのスクラップ(ゴミくず)の上に座っている、いつになくクールなスタイリングを披露していたことから、ライブでも新しい一面を見せてくれるであろうことは予想していたが、オープニングの時点から、その期待を大きく上回る衝撃が待っていた。幕開けを飾ったのは、ノイジーなSEやハードコアテクノ~ドラムンベース的なサウンドに彩られたオープニングムービー。深めのフードを被った水瀬と思しき人物が、スクラップで作られた猫を追いかけて外に飛び出し、光と闇が交錯する夜の都会の街並みを見渡す。
そしてその映像から抜け出してきたかのように同じ格好をした水瀬が、全高3メートル以上はありそうな移動式ステージの上に乗って登場。夜の街並みを映したスクリーンをバックに「スクラップアート」を披露する。その光景は、「スクラップアート」が第2クールのOPテーマとなっているTVアニメ『デッドマウント・デスプレイ』に登場する新宿を彷彿させるもので、フロアを震わせるほどの低音が効いたアグレッシブなサウンドを含め、鮮烈極まりない立ち上がりだ。
そんな夜の街並みに陽が昇り、朝もやに光が差すなか、爽快なロックチューン「identity」へ。メインステージに降り立った水瀬は“誰より私は私なんだ”“正解じゃなくても私なんだ”と、自分自身を指さして自らのアイデンティティを誇示するように、力強くメッセージを届ける。続いては聴く者に勇気を与えてくれる歌「brave climber」。光沢質の黒いフード付きジャンパーに赤色のエクステを合わせたクールな出で立ちの水瀬は、バンドの演奏に合わせて心から楽しそうに体を揺らしながら、心を奮い立たせるようなタフな歌声を響き渡らせる。
MCで、ツアータイトルの「スクラップアート」について、「廃材芸術=不用品からアートを作り出す」ということを日常生活に当てはめて考え、挫折や失敗の経験も輝きに再生できるのではないか、という意味を込めて名付けたことを説明。今回のセトリには、最新シングル「スクラップアート」とその前作のシングル「アイオライト」の収録曲を中心に、多種多様なタイプの楽曲が組み込まれていたが、それら1つ1つをアートに見立てて、それぞれの楽曲の世界観を見せる構成もまた、色々なものを組み合わせて1つの芸術作品に昇華するスクラップアートの発想に通じるものがある。
そしてライブは次のアートの時間へ。昂揚感溢れるイントロに導かれて始まったのは、田淵智也が提供した「僕らだけの鼓動」。水瀬はそのイントロの間に早着替えして、デニム地のセットアップ姿になり、ステージを下手や上手へと行き交いながらファンのことを見つめてしっかりと歌を届ける。続く「クリスタライズ」は、「スクラップアート」と同じ栁舘周平が手がけた煌びやかなフューチャーポップ。ブリッジ部分のカオティックな展開を含め、アリーナの大音響で味わうと一層きらめきが増して、まるで別次元に連れて行かれたような気分になる。客席からのクラップやコールも合わさって、不思議な祝祭感に満ちた時間だった。
ここで通称“いのりバンド”と呼ばれるバックバンドのメンバー紹介へ。この日はドラムのフッフーさん(藤原佑介)、ベース&バンドマスターのミッチーさん(島本道太郎)、キーボードのオバちゃん(小畑貴裕)、ギターのイッフィーさん(伊平友樹)とジッジーさん(植田浩二)がサポート。みんな過去のライブにも参加しているお馴染みのメンバーだ。そしてフリルをたくさんあしらったかわいらしい衣装に着替えた水瀬が再登場すると、「アイマイモコ」を歌唱。締めの“いつか届くなら”の箇所で指ハートを作るなど、サービスも満点だ。さらに本ツアーでライブ初披露となる温かなミディアムバラード「運命の赤い糸」を届けて、アリーナに集った町民(水瀬のファンの呼称)たちとの心の距離を一気に詰める。
観客からの「かわいい!」の声にはまだ免疫ができていないとのことで、照れながらも「言っていただけるうちが花ですから」と水瀬らしい反応で喜びつつ、くるっと回って衣装をアピール。沸き立つオーディエンスに「落ち着いて」「(感想は)手紙とかで送ってください」と、やや塩っぽい対応で照れ隠しするところもまた彼女の魅力だ。「次の曲はリラックスしながら、ゆらりくらりと聴いていただければと思います」と告げて歌われたのは「くらりのうた」。水瀬本人が発案した公式キャラクター“くらりちゃん”を描いた、彼女作詞の楽曲だ。水の中をたゆたうような映像、水瀬の優しくドリーミーな歌声、くらりちゃんの形状をした公式グッズ“くらりライトチャーム”を手にしてゆらゆらと揺れるファンの光景、そのすべてが合わさって夢心地のような空間を作り上げる。水色をあしらった水玉模様の衣装とリボンも相まって、水瀬自身がくらりちゃんになってアリーナの広い海を漂っているような瞬間だった。
そんな楽曲に続いては、しっとりと力強いミディアムバラード「あの日の空へ」。水瀬のデビューシングル「夢のつぼみ」のカップリングに収録されている最初期のナンバーだが、実は自身の単独公演で披露するのは今回のツアーが初めて(“リスアニ!LIVE 2017”出演時にライブ歌唱したことはある)。淡い雪が降り注ぐような映像をバックに、デビューから8年の時を越えて想いを伝えるその歌声には、アーティストとしての成長と進化が確かに刻まれていた。
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