狐のお面がトレードマークのシンガーソングライター・伊東歌詞太郎のニューシングル「ヰタ・フィロソフィカ」は、実写映画版も話題となったTVアニメ『わたしの幸せな結婚』のエンディングを飾るドラマチックなバラード。伊東のエモーショナルな歌声と読書家でもある彼の“愛”に対する哲学が融合を果たした、聴き込むほどに心に深く刺さる楽曲に仕上がっている。そして2曲目には、YouTubeで配信中の猫好き必見アニメ『夜は猫といっしょ』シーズン2主題歌「猫猫日和」を収録。曲調は違えど伊東らしさが詰まった2曲の制作秘話について、彼に語ってもらった。
INTERVIEW & TEXT BY 北野 創
――「ヰタ・フィロソフィカ」はTVアニメ『わたしの幸せな結婚』(以下、『わた婚』)のED主題歌になりますが、最初に作品に触れたときの印象はいかがでしたか?
伊東歌詞太郎 色々な作品のタイアップをさせていただいているなかで、僕が直近で関わらせていただいた2作品(『虫かぶり姫』『わた婚』)は、女性が観ても面白いアニメという印象が強くて僕自身、少女マンガ的なジャンルの作品は結構読むタイプなので、『わた婚』も楽しく読ませていただきました。少女マンガを楽しく読むにはコツが必要なんですよね。昔、とある少女マンガを描く漫画家の方に教えてもらったんですけど。
――そのコツというのはどんなものですか?
伊東 少女マンガの王道のパターンとして、主人公の女の子は客観的に見て絶対にかわいいのに「全然モテない設定」という矛盾があって、僕は「そういう世界観なんだ」と納得して自分の感覚をチューニングすることが、少女マンガを読むコツだと思っていたんですけど、そういう話をその漫画家の方にしたら、「あなたは何もわかっていない」と言われて(笑)。その人いわく、「女性は好きになったら、その相手のことがものすごく素敵に見えるものだから、少女マンガで描かれている主人公は、相手の男性もその子のことを魅力的に見ているからきれいに描かれている。イケメンがたくさんいる世界観になっているのは、主人公の子から見たらみんなものすごくかっこよく見えている、ということをわかったうえで読まないとダメ」と言われて、目から鱗が落ちたんですよ。第三者視点で物語を読むのではなく、主人公の視点とその相手役から見た主人公の視点で読む。それがコツです。
――そのコツを踏まえたうえで、斎森美世(CV:上田麗奈)と久堂清霞(CV:石川界人)の関係を軸にした『わた婚』という作品にはどんな魅力を感じましたか?
伊東 最初は恋愛模様を中心に描かれていくものと思っていたのですが、だんだん異能の要素が見えてきて、これは男性が読んでも面白い作品だなと感じました。バトル要素や、血筋のことを含めたミステリー的な要素もあって、設定としてすごく面白いんですよね。もちろんラブストーリーとして見せる力もありつつ、ストーリーテリングとしても引き込まれるところが魅力でした。
――伊東さんは歴史が好きというお話ですが、この作品は明治・大正時代の日本をイメージした世界観なので、その意味でも惹かれる部分があったのでは?
伊東 その通りですね。僕自身、本を読むのが大好きなのですが、明治・大正・昭和・平成・令和のそれぞれの時代によってメディアは移り変わってきていますが、明治・大正時代に一番強かったメディアは本・書籍だったと思うんです。文壇が花開いた時代でもあったわけで、本好きの自分としてはテンションが上がる時代背景なんですよね。
――今回の楽曲「ヰタ・フィロソフィカ」も、本好きならではのタイトルになっていて。
伊東 お察しの通り、これは森 鷗外の「ヰタ・セクスアリス」から引用したタイトルです。僕は歌詞を書くのが早くて、30分くらいで書いてしまうことが多いんですけど、だからこそタイトルにいつも悩んでしまうんですよ。今回も歌詞は15分くらいでバーッと書いたのですが、タイトルはすごく悩みました。今回は文壇が花開いた時代の文豪にあやかったタイトルにしようと考えたときに、旧字体の「ヰ」は明治・大正時代を想起させる文字ということもあっていいなと思ったのですが、「ヰタ・セクスアリス」はラテン語で“快楽的生活”や“性欲的生活”という意味で、それは僕が今回描きたかったテーマとは全然違っていて。今回は“哲学的”な楽曲なので、“哲学的生活”という意味を込めて「ヰタ・フィロソフィカ」というタイトルにしました。
――この楽曲、自分としては“僕”から“あなた”に向けたラブソングの印象が強いのですが、どういった部分が「“哲学的”な楽曲」なのでしょうか。
伊東 このタイアップのお話をいただいたときに読んでいた本が、ちょうどいい内容だったんですよ。それはエーリッヒ・フロムというドイツの哲学者が書いた「愛するということ」という本なのですが、ここ数年の中で、自分の人生に一番影響を与えた本なんです。内容を簡単に説明すると、「愛は技術である」ということなんですね。今の時代の人たちは環境的に、お見合い結婚よりも自由恋愛のほうが素晴らしいという価値観があると僕は思うんですけど、フロムは自由恋愛の場合、例えば「俺はこの子のことが好きで結婚したけど、あいつはもっと若くてかわいい子と結婚した」みたいに結婚相手の「比較」という未熟な行為が生まれるので、それが浮気や不倫といったネガティブな感情のタネになって苦しむ人が増える、ということをその本で訴えていて。
――なるほど。「愛は技術である」というのは?
伊東 彼は「愛とは恋に落ちるものではない。“能動的に愛していく”という技術を使って、目の前の相手と一生を添い遂げていくことが愛である」と言っているんですね。未熟な人格では人を愛する技術は錬成されないので、自分自身を磨いて「愛する」という技術に耐えうる人格を形成したうえで、親や家柄によって“パートナー”をあてがってもらい、「あなたはこの人を愛してください」と決まったら、ほかの家庭とはまったく比較せずに、自分の目の前の人間を一生愛して添い遂げていく。それこそが「愛する」ということなのであると、フロムは言っているんです。もちろん自分がその通りに生きているか、生きたいかというと、そうとは言えないのですが、それが考え方の新しい引き出しになったし、そのうえで『わた婚』を読むとぴったりの内容だったんですよね。今の時代、政略結婚と言われると悪い印象がありますけど、実際はそんなことはなかったんですよ。
――美世と清霞も、出会いのきっかけは政略結婚の縁談で偶然引き合わされたわけですしね。そこから生まれた2人の愛というものは、フロムがいう「能動的な愛」そのものかどうかはわかりませんが、リンクするところがあるように感じます。
伊東 そうなんですよ。顎木あくみ先生が作品のテーマとしてどういうことを描こうとしたのか、直接お話を聞いたことはないのですが、自分なりに何を描きたかったのかを汲み取った結果、今自分が考えている愛の新しい価値観とぴったり合っているように感じたので、歌詞もバーッと書けたんですよ。
――今回のタイアップが発表されたときに、伊東さんは「男女の愛で大切なのは当事者同士の幸せである」というコメントを寄せていましたが、今の話に照らし合わせると、どんな意図での発言だったのでしょうか。
伊東 当事者というのはすごく大事で、要は2人だけの話なんですよ。そこに第三者の男性や女性、家庭といった比較が生まれると「愛の技術」というのは崩れていく。ただ、誰もがそういう価値観を持っているわけではなくて、この曲でも、実はそういう価値観を知らない女性との恋愛を描いているんですね。“僕”の側は成熟した「愛の技術」を持っているので、「あなたのことを愛しています」ということをひたすら伝えているけど、そんな価値観を持っていない“あなた”の側からすると戸惑うと思うんですよ。今の世の中でも、「あなたのことだけを見て一生愛していきます」なんて言われたとしても、「いやいや、男性なんて浮気するものじゃん」とか「私よりもかわいい人なんていっぱいいるし」ってなる人もいるわけじゃないですか。でも、男性側は「そういう次元の話ではないんですよ」とひたすら伝え続けていく。そのうちに相手が「なるほど、そうやって私のことを愛してくれるんですね」ということに気づいてくれてようやく手を握ることができる。それまでちゃんと待っていますよ、という曲なんですよ。
――なるほど。色々腑に落ちてきました。個人的にDメロの“確かなものはひとつもない なんてさ そんなわけないじゃない 変わり続ける僕らの心は変わらない”というフレーズが、アクロバティックな表現ですごく印象的だったのですが、今の話を踏まえると1つの真理を突いているように思えます。
伊東 そうなんですよ。我々は“確かなものはひとつもない”という価値観のもと生きていますけど、そんなわけはないと。例えば、付き合って、結婚して、30年40年と経ったら、お互いの体も全然違うものになっているわけじゃないですか。でも、愛を技術として捉えたら、体は“変わり続ける僕ら”だとしても“心”というものは変わらず、ずっと愛していくことができる。実は“確かなもの”はあるということを伝えたかったんですね。ここは『わた婚』という作品に照らし合わせただけでなく、伊東歌詞太郎の心みたいなものも強く出ていて。
――というのは?
伊東 例えば恋愛のこと以外でも、世の中では「絶対なんてありえない」と言いがちですけど、自分の「音楽が好き」という気持ちは、何が起こっても揺るがないと思うんですね。それこそ僕自身、今まで音楽活動をしてきたなかで、悲しいことや悔しいこともありますが、音楽を愛する気持ちは1ミリも揺るがないので、その意味では、この世の中には絶対に変わらないものはあるなと。なのでこのDメロには、作品のこと、フロムの言う「愛」、それと自分自身が音楽に対して思っていることが重なっていますね。
――音楽に対する揺るぎない気持ちがあったからこそ、この言葉を書けたわけですね。
伊東 そうですね。何が起こっても大丈夫だと思います。歌がうたえなくなったときも、音楽に対する愛は変わらなかったんですよ。(声帯結節の)手術もしましたし、そこは自信がありますね。
――そういった伊東さん自身の音楽に対する想いが芯にあるからこそ、この楽曲の「絶対にこの愛は揺るがない」というメッセージ性も説得力のあるものになっているんだと感じました。
伊東 そうなっていたら嬉しいですね。「信じてくれないかもしれないけど、あなたがいかに信じないと言い続けたとしても、僕の気持ちは変わらないよ」っていう。
――楽曲のアレンジ面に目を向けると、ピアノとストリングスを軸にしたドラマチックなバラードで、全体的に夜空が思い浮かぶようなサウンドに仕上がっています。
伊東 「夜空感」を感じてくださったのは嬉しいところで、それはこの楽曲のテーマの1つでした。アレンジについては河野(圭)さんとしっかりとお話しながら作り上げていったのですが、この曲は一生をかけて愛すべき人を見つけることのできた、すごく幸せな人の歌でもあるわけじゃないですか。地球上には80億人もの人間がいて、さらに宇宙にも目を向けるときっとどこかに知的生命体もいるなかで、“僕”は“あなた”を愛することを決めた。そういう宇宙的なスケール感をイメージしてアレンジしたんです。実はモールス信号の音を入れたりもしていて。
――そう、イントロやアウトロにそれっぽい音が入っているなと思っていました。
伊東 気づいてくれて嬉しいなあ。モールス信号の音をあまり前に出しすぎるとうるさくなるので、ミキシングで調整したんですけど、あの音があることで「この広大な宇宙の中であなたを見つけたんだよ」ということを演出していて。それがこの楽曲のメインテーマではないのですが、バックグラウンドとしては非常に重要なポイントだと思ったんですよね。
――楽曲の流れに合わせてサウンドが壮大に展開していくところも印象的でした。
伊東 AメロとBメロでは、「僕は待っていますよ」ということを伝えているのですが、仮に一生わかってくれなくてもOKという心の広さみたいなところを見せていて。で、サビになったら、それでも何回でも伝え続けるし、何回でも話し合うことがすごく大切で、「あなたしか愛さない」「あなたは本当に美しい」ということを能動的に伝える歌詞になっているので、それに合わせてアレンジメントも全然違うものに変化していくように表現しました。
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