INTERVIEW
2023.07.20
TVアニメ『闇芝居 十一期」のEDテーマに抜擢された新曲「マスカレードパレード」を書き下ろした“クジラ夜の街”とは一体どんなバンドなのか。高校の軽音楽部で出会った同級生4人で結成され、学生時代に“ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2019”や“SUMMER SONIC 2019”に出演。高校卒業と同時に陥ったコロナ禍を経て、2023年5月に1st EP「春めく小説」でメジャーデビューを果たした“ファンタジーを創るバンド”のヒストリーを、じっくりと語ってもらった。
INTERVIEW & TEXT BY 永堀アツオ
――まず、5月にメジャーデビューした心境からお聞かせください。
宮崎一晴 もう2ヵ月が経ち、新鮮な気持ちというよりは、今は心が切り替わってプロのミュージシャンとしての道を歩いていかないといけない、という覚悟が固まったかなという感じですね。
秦 愛翔 バンドを仕事にするのが夢だったので、「やっと夢が叶ったぞ!」っていう気持ちと、「これから爆売れしてやるぞ!!」っていう気持ちです。
山本 薫 あはははは。僕はメジャーデビューしてみて、取材をたくさんさせていただいたり、アニメのEDテーマに選んでいただいたりと、今までよりも活動の幅が広がったなっていうのを実感しています。
佐伯隼也 僕らはメジャーデビューに向かってやってきたんで、とりあえず一安心。安堵がでかいです。
――メジャーデビューまでの6年間というのはバンドにとってどんな日々でしたか。
宮崎 バンドでも第1章、第2章、のように言ってまして。高校の軽音楽部で出会って、卒業するまでの3年間が第1章ですね。色んな大会に出て、僕らが今所属しているソニー・ミュージックアーティスツの方にスカウトしていただいて。バンドを組んだときから、何となく高校を卒業してもずっとやっていきたいバンドだなっていう気持ちはあったんですけど、高校生活を駆け抜けていく段階で、どんどんその気持ちは強くなっていったし、具体的にもなっていった3年間だったなと思っています。
――第1章で一番印象に残ってる思い出を挙げるとすると?
秦 高校2年生のときに出場した大会ですね。グランプリを獲るつもりで臨んだんですけど、自分たちの納得する結果にいかなかったんですよ。そこで、僕が表彰式の舞台で号泣してしまって(笑)。
宮崎 秦が泣き出したときに僕が変わって前に出たんですけど、僕は僕で怒りで、持っていた2位の表彰状を握りしめてしまって。2人の態度が悪すぎて、後日、呼び出されたりしましたね(笑)。
秦 今となっては良い思い出なんですけど、そのときは胃がひっくり返るくらい悔しくて。その悔しさが自分を動かす原動力になってるのかなと思いますね。
山本 僕は高校2年生の文化祭の後夜祭で演奏したときのことですね。ライブハウスにいる子たちや軽音楽部の人たちだけじゃなくて、一般の生徒も集まる行事でオリジナル曲を演奏するってことになって。
宮崎 うちの部はコピーが禁止で、オリジナルしかやっちゃダメなんですよ。だから、大会に出たときも初期のアルバム『星に願いを込めて』に入っている「風のもくてきち」をやったし、後夜祭では「平成」をやって。
山本 ステージに出る前は、オリジナル曲をやって盛り上がるのか?という不安があったんですけど、いざ演奏してみたらすごく盛り上がってくれたんですよ。それまでは身内のライブに出ることが多かったので、僕たちのことを知らない人が見ているステージに出て、沸かせることの快感を知ってしまったというか。こんなに気持ちが良いんだっていう喜びが今にも繋がってるし、モチベーションにもなってますね。
――佐伯さんはどうですか?
佐伯 僕らが通ってた学校は、軽音楽部の強豪校だと言われていたので、軽音楽部が目的で入学する人も多かったんですよ。でも、僕は家が近いから入った人で、この4人の中で僕だけが楽器初心者だったんです。でも、スタジオに入ったときに、いきなりみんながセッションを始めて!ベースの僕だけは、右も左もわからない状態だったので置いてけぼりだったんですけど、それにドヤ顔で食らいついた自分を褒めたいですね。
――バンドを組んだときから、未来を見据えてたんですね。
宮崎 最初から、部活でやっているバンドという意識ではなかったですね。口に出して言ってはなかったんですけど、何となくプロになりたいって気持ちを持っていたし、部活という枠を飛び越えたいなという気持ちはありましたね。そのなかでも、特に先ほど秦と薫が言った出来事がでかかったです。まず最初に後夜祭で喜びを知って、大会で悔しさを知り、そこから活動のギアが上がったんですよね。そのタイミングで高2の11月くらいにスカウトの方から声がかかって。そこからはプロになるっていう話が自然と出てました。
佐伯 そうですね。その後、高3の夏に“サマソニ”と“ロッキン”に出たので、ここまで来たらやるしかねえだろって。
宮崎 僕らの将来を確定付ける感じでしたね、そのときにはもう育成契約を結んでいたし、一番勢いづいていた時期なのかなと思います。
――でも、第2章の幕開けとなる高校を卒業したタイミングで、ちょうどコロナ禍が始まっていますよね。
宮崎 そうですね。ライブに重きに置いているバンドだったので、第2章の始まりは、もう本当に何もしてない時間というか……高校を卒業した瞬間に停止しましたね。事務所と一緒に色々と計画を建てていたんですけど、それも一旦全部飛んで。波乱の幕開けというか。
佐伯 バイトしかしてなかったなぁ。
宮崎 最初はね。そこから、少しずつライブが増えてくるんですけど、停止したことによって、己を見つめ直すきっかけにもなり、2021年の秋頃から「ファンタジーを創るバンド」というモットーを掲げるようになりました。それまでは自分たちの自己紹介がなかなかできない状態だったので、ようやく「ファンタジーを作るバンド」っていう自己紹介を打ち出すようになってからは早かったですね。みんなはどう?なにかきっかけとかある?
秦 僕は人前でドラムを叩くのが生き甲斐だったんですけど、高校を卒業して、これからっていうときに取り上げられちゃって。バイトしかすることないので、昼は某ファミリーレストランで働いて、夜は塾の先生をやってたんですけど、ちっちゃい子供から写真の切れ端みたいなものを頭に乗せたりちょっかいをかけられるんですよ。子供が好きなので、僕は気付かないフリをして違う生徒に教えてるんですけど、「僕がやりたかったことってこれだったかな……?」ってずっと考える日々でした(笑)。それが本当にしんどくて、自分はバンドマンなのに、全然バンドしてないじゃんって思って。でも、2021年11月にやっと人前でライブできることになって、渋谷CLUB QUATTROで1年ぶりくらいに人前でのライブをしたんですけど、お客さんのマスク越しでもわかる、あの笑顔が忘れられなくて。やっぱり僕の生きる場所はここにあったんだなって再確認したし、あの瞬間から僕の生き甲斐はここだっていう意志でずっとやってきてる。僕にとっての人生が再スタートした瞬間なのかなっていう意味で、ターニングポイントになってますね。
山本 ライブができるようになってから、だんだんお客さんも増えてきて、去年から声出しもできるようになって。そのタイミングで僕たちが出した「踊ろう命ある限り」にはお客さんが歌ってくれる部分があるんですけど、実際にお客さんの声を聴いたときに、高3のときにやったライブで僕たちが「歌ってください」と言ってなくてもお客さんが歌ってくれたライブの感動が蘇ってきて。「うわ、やっぱこれだよな」って思った瞬間がぐっときましたね。
佐伯 「ファンタジーを創るバンド」っていうコンセプトが決まったことが大きかったです。 4人のイメージや目指すべきものが一緒になったから良かったなって思う。あとは、何もすることがない状況だったときに、ふと、ベースを手に取って、適当に自分で弾くことが多くなった時期が今の自分が曲を作るときの糧にもなっていると思います。
――今は第何章ですか?
宮崎 メジャーデビュー1st EP「春めく私小説」をリリースした5月10日に第3章を始めたというイメージですね。終わりは毎回、あまり考えていないんですけど、何となく武道館に立って、第4章かな、と。だから、第3章はメジャーデビューから武道館に立つまでの物語になりそうだなと思っています。武道館っていうものをめちゃくちゃ知ってるわけじゃないんですけど、アーティストの中での1つの目標として、武道館に立ったら一流じゃないかなと思うので、何となくそこを目指してますね。
――メンバーの皆さんが第3章で目指すものはなんですか?
秦 これはエゴになっちゃうんですけど、僕たちは曲も良いんですけど、やっぱり楽器が上手いバンドだと思ってるんですよ。その個性は絶対消したくなくて。演奏の技術の高さがちゃんと伝わりつつも、自己満で終わらないような曲をたくさん作りたいですね。
宮崎 そうだね。楽器の良さを新しく発見していくような、開拓していくような楽曲を作りたいですね。
山本 フェスとか、ホールとか、大人数の前でもっとやれるようになれたらなって思ってます。6月18日に名古屋の“FREEDOM NAGOYA 2023 -EXPO-”っていうフェスに出たんですけど、何千人も来てくれて。その人たちの前でギターソロを弾いたら瞬間に脳内麻薬のような物質が大量に出てしまい(笑)。あ、これは続けてなきゃ僕は駄目だって。その瞬間から、早く大勢の前でやる機会をもっと増やしていかないとって思ってますね。
佐伯 僕はいつか、4人だけじゃなくて、色んな楽器を聞いてくれる人を集めて、でっかいステージでライブができるようなバンドになりたいです。
宮崎 オーケストラとかね。僕はいつかウィーン少年少女合唱団とコラボしたいなと思ってて。子供の声が大好きだし、クジラとも絶対合うと思う。バンドではあまりやってないんじゃないかなと思うので、ほかがやってないことをとにかくやっていきたいですね。
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