2022年10月に声優生活30周年を迎えた緒方恵美が、自身出演アニメの主題歌を集めてカバーをするアルバム「アニメグ。30th」をリリース。この30年、声優アーティストとしての活動も継続してきたなか、これまでにも「アニメグ。」と題したアニメソングのカバーアルバムを2作発売してきたが、その最新版となる今作は『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の宇多田ヒカルのナンバーはもちろん、King Gnuが歌う『劇場版 呪術廻戦0』の主題歌から、彼女の原点である『幽✩遊✩白書』の楽曲まで、幅広く網羅した1枚に。今日までの音楽活動を振り返りつつ、「アニメグ。30th」への想いを聞く。
INTERVIEW & TEXT BY えびさわなち
――昨年、声優活動30周年を迎えられましたが、音楽活動にフォーカスすると、緒方さんが音楽活動をはじめられた頃と現在の声優さんの音楽活動は違ってきているかと思います。シーンの変遷をご覧になって、またご自身の活動を振り返られると、どのような想いがありますか?
緒方恵美 全然違いますよね。人にもよりけりだとは思いますが、90年代の音楽と今の音楽が全然違うのも影響としてはもちろんあると思いますし、状況の変化もあるかと思います。個人的な話でいえば、最初に始めた頃は自分が作った楽曲が評価されてCDデビューのお声が掛かったとは思っていなくて。ちょっとそういうひねた感じの捉え方をしていたのは、声優になる以前から趣味で音楽制作をやっていましたし、ずっと自分が作ってきたから。餅は餅屋と作家の方に作っていただいた楽曲に、声優なので「お客さんはこういう楽曲をこの歌声で聴きたいのではないか」という、自分のストレートな表現というよりはお客さんが夢を持つような作品を出すことが求められていると思っていたんですね。実際に、最初に出したアルバムも企画ものでしたし、事務所が制作したものでしたし、ボイスドラマも入っているようなものを作っていた。でも元々音楽が好きで、自分でも楽曲制作をしていたこともあったのに、あの当時の自分は声優として音楽活動をすることは、お芝居の延長線であったほうがいいと思っていた。歌詞を書くときにも、物語のような歌詞を作っていたのですが、そういう、芝居でも音楽でも演技しているみたいな感覚に疲れてしまったんです。その時期がランティス創業年度と重なりまして、初代社長の井上俊次さん(LAZYのキーボディストであり音楽プロデューサー)にお誘いを受けて、ランティスに移籍をしました。
――ランティスに入られてからは音楽制作に対して意識は変わられましたか?
緒方 移籍初のアルバムはまだそれまでの流れを引きずっていました。ちょうど前の会社から制作途中だったものを引き継いでと言うこともあったからですが。そんな私を見て、井上さんが「もうあなたは自分の作りたいものを作っていいんじゃないですか」と背中を押してくださったこともあり、それから、詞も曲も自分で手がけていくようになりました。でもいきなり急展開で、自分の好きな感じの曲をやることは怖かったので、ランティスに入ってからも10年くらいは習慣のままに癒しの要素のある楽曲を作っていて。そんななか、井上社長に「もっとライブがしたいでしょ」と言われたことから、自分でバンドメンバーを集めて、(井上社長から)貸していただいたバンに乗ってみんなで全国を回るようになったんです。それこそ30代中盤からバンド小僧みたいな生活を始めて(笑)、イチからリスタート。途中メンバーを総入れ替えした2010年から明確に音楽の方向性も定めて走り始め、現在に至ります。「人の背中を押すロック」。今では完全な「おじさん声優ロックアーティスト」になりました(笑)。今のサポートメンバーはもはや長年のバンドのような感じで付き合ってくれていますし、音楽の制作チームもめちゃめちゃ愛を持ってくれている。今回のアルバム「アニメグ。30th」に付き合ってくれた皆さんも、仲間がとても多くて。みんなと愛と熱を持って楽曲制作ができる、今の自分の音楽環境がとても幸せだなと思います。
――声優自身がクリエイトしたものを発信していく、ということにおいては先駆者でもあるという印象が緒方さんの活動にはありますよね。
緒方 今回はカバーアルバムだけどね(笑)。クリエイトする、というのは様々な形があると思うんですけど……自分の場合は昔、本当に口下手で。しゃべるのがへたくそだったんです。自分の言葉で思っていることをちゃんと伝えられない若者だったのですが、世の中に対して思っていることはたくさんあった。だから、誰かが書いてくれた言葉に気持ちを乗せる職業を選びました。音楽も作るのは好きだったけど、歌詞は下手くそで。だからあくまで趣味だった。だけど、どんなお仕事でもそうですが、社会人として生きるなかで、コミニュケーションは必要で。特に声優は、私がこの世界に飛び込んだ時期から、格段に自分の言葉で発信することが多い仕事になった。そのなかで格闘しながら生きるうちに、いつの間にか「自分の言葉」でしゃべれるようになっていました。普段の自分はヘタレですが、職業として発する自分の言葉は、音は、人を元気にするものでありたい。その想いがどんどん大きくなってきて……あらゆる手段を使ってそうできたらと考えるようになりました。その中心にあるのが、その想いをダイレクトに届けられる、音楽です。誰かの元気のために、と思いながら作ることが楽しい。目の前のみんなに元気を直接渡せるライブが楽しい。今、音楽活動がとても楽しいです。
――そして今回、「アニメグ。30th」が発売となりました。これまでにも15周年、25周年というタイミングで「アニメグ。」をリリースされてこられましたが、カバー曲を通じてアニソンのシーンをご覧になってきて、アニソンを取り巻く環境の変化についてどのように感じられますか?
緒方 3.11の直後、ラジオ局がなにをかけたらいいのか、と試行錯誤していた時期があって。その時ちょうどNHK FMで、マンスリーでテーマを変えつつの月曜から金曜までの夜中の帯番組を立ち上げる企画があったんですが、その2ヶ月目のMCを、わたしと、当時まだデビューしたての水瀬いのりと2人で担当することになったんです。私たちの月のテーマはアニソン。4週間を年代ごとに区切って流していったんですね。「今週は70年代までのアニソンを」「今週は80年代を」といった感じで。そうしたら見事に10年ごとに曲の特徴が違っていて、面白かった。時代の変遷に加え、音はもちろん、音を作る環境も違うので当たり前ではあるのですが。アニソンで言えば大昔は作品タイトルがガン!と入ってくるものが多いし、中にはオープニングの最後のところでそのままスポンサー企業名を織り込んで歌っている曲もあったり。つまりCM入りオープニング(笑)。その後80年代にはテクノポップも入ってきて、80年代後半から90年代にはTM NETWORKの「Get Wild」をはじめとしたアニソンシンガーではないアーティストとのコラボレーションが増え、2000年代は声優がOP&EDを歌う機会がとても多くなってきた。声優アーティストという名称も確立してきて、そのあたりから歌のテンポがめっちゃ速くなっていく。2010年代はもはやカオス。アニソンはたしかに音楽の1つのジャンルだけれども、そのジャンルのなかに細分化された、色んな形の多彩な音楽が用意されるようになったのがこの10年かなぁと思います。
――「アニメグ。」はそういったなかでどのように作っていかれていたのでしょうか。
緒方 単純に、まずは自分の声優としての周年記念に、関わらせていただいた作品やその関係者の皆様、それを応援してくれたファンの方への感謝を込めて、カバーさせていただくアルバムを作りたいと思ったのがきっかけです。15周年に出した1枚目のときには自分がイチ視聴者だったときの好きだった曲も少し収録させていただきましたが、25周年の「アニメグ。25th」からは、自分の出演作品だけに絞って収録させていただくことにしました。
――そして今回は「アニメグ。30th」です。
緒方 いよいよ至近の、ここ2、3年以内の出演作+1曲だけ初心を忘れないという気持ちを込めて、声優デビュー作品の楽曲を選びました。
――『幽✩遊✩白書』の「微笑みの爆弾」ですね。まだカバーしていなかったとは意外でした。
緒方 実はカバー、していたんです。『幽✩遊✩白書』は放送当時、時代背景もありCDがすごく売れていたのですが、その中にメインの出演キャストが全員でカバーする主題歌集が出ていたんです。そのなかでわたしが「微笑みの爆弾」と「ホームワークが終わらない」を担当させていただいたのですが、そのときのわたしはデビュー間もない頃で拙くて。初々しいとも言いますが(笑)。音楽活動的なことはもちろん、今に至る声優としてのすべての基礎を『幽✩遊✩白書』に教わったと言っても過言ではありません。30年やってこられた感謝を込めて、仲間の皆さんのお力をお借りして、現代の形として今、ストレートに歌っている自分の声で、初心に還って歌いました。
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