2015年2月にリリースされた1stフルアルバム『イシュメル』から約1年半ぶりのリリースとなる、悠木 碧の3rdプチアルバム『トコワカノクニ』。6曲入りの“プチ”アルバムとなる今作では、楽器を一切使用せず、すべての楽曲を“声”だけで作り上げている。自身がイメージする世界観を音像化するにあたり、声優として、またヴォーカリストとして、声による表現を最大限に盛り込んできた悠木 碧だが、その表現手法の集大成ともいうべき楽曲の数々が今作には収められている。
悠木 碧の各アルバムには、作品全体を貫く世界観に沿って、それぞれストーリーが設けられている。この『トコワカノクニ』では、シングル『ビジュメニア』に登場する少女が森の中で白いキメラと出会い、少女の研究所でふたり仲良く暮らす、というストーリーが盛り込まれている。もっとも具体的な説明や設定などは触れられておらず、リスナーは抽象的な言葉によって描かれる童話のような物語を彼女の声とともに旅することとなる。
今作には、デビュー・ミニ・アルバム『プティパ』では「回転木馬としっぽのうた」を、1stフルアルバム『イシュメル』ではリードトラック「アールデコラージュ ラミラージュ」を始め、数々の名曲を手がけているbermei.inazawaが参加。そして新たにふたりのクリエイター・inktransとkidlitが加わっている。また『イシュメル』に引き続き、すべての作詞を藤林聖子が手がけている。
「歌+音」のあらたな領域を切り開く、その制作に関する非常に興味深いエピソードの数々は下記のインタビューに収録されている。
●悠木 碧『トコワカノクニ』インタビュー Vol.1 悠木 碧インタビューはこちら
●悠木 碧『トコワカノクニ』インタビュー Vol.2 作詞家・藤林聖子インタビューはこちら
●悠木 碧『トコワカノクニ』インタビュー Vol.3 フライングドッグ音楽プロデューサー・佐藤正和インタビューはこちら
Vol.1には、作品の制作過程や内容について、またCDの初回限定盤に同梱されている5.1chサラウンド音源の体験談やミュージック・ビデオ撮影話、そして創作活動に対する姿勢など、ヴォリュームたっぷりと掲載されている。
Vol.2には、悠木 碧とのディスカッションについて、イマジネーションを呼び起こす様々な歌詞について、また悠木 碧が絶賛する作詞のポイントについて、深く話を聞いている。
Vol.3は、ダミーヘッドマイクなどを使用した“極めて特殊な”レコーディングについて、またトラックダウンからマスタリングまで驚きの手法の数々が明かされている。オーディオファンのみならず音楽好きならば楽しめる話が満載だ。
作曲と編曲はkidlit。悠木 碧も出演しているTVアニメ『ステラのまほう』(2016.09~)の劇伴(倖山リオや桑原まこ、との共同名義)やMay’nの「スピカ」(2016年11月23日にリリースされたシングル『光ある場所へ』に収録)などを手がけている。作曲家のきだしゅんすけ(LPchep3のメンバー。最近では山下敦弘監督作品の映画『ぼくのおじさん』の劇伴を手がけている)とのユニット“sugarbee”のメンバーとしても活動を行なっている。クラシック(アカデミックな教育を受けている)からジャズ、ロックやポップス、ボサノヴァやエレクトロニカまで、幅広いフィールドで活躍しており、演奏家としてまたヴォーカリストとしても人気が高い。
研究所で少女とキメラが互いに言葉が通じないながらも、楽しそうにおしゃべりをしている様子を描いたこのナンバー。“星の数の 音符降る日は 声にまみれて 遊びましょう”の言葉やタイトルである『星々』のように、『トコワカノクニ』の楽曲の中でも一番声を重ねて作られており、アルバムのリードトラックともなっている曲だ。
穏やかな雰囲気が漂う空間にふたりの会話が優しく響き渡る。少女によるメインヴォーカルに、キメラによる“(アウア)”などの声が呼応する。純真な子供の声や笑い声が入り混じり、室内の親密な空気が伝わってくる中、少女の言葉がキメラへとゆっくりと伝播していくさまを表わすような、ヴォーカルを追いかけるコーラスの変化も面白い。
“パパッパー”のスキャットや“ワン・ツー・スリー”のコーラス、2番目からはさらにその存在が顕著に感じられるベースの役割を担う低音部の声などが、声によるリズムや伸びによって緩急をつけるドゥー・ワップのスタイルを思い起こさせ、またトイポップ的なアレンジを得意とするkidlitらしく“カタンカタン”などのかわいらしく転がる言葉があちこちに装飾されており、ある意味、今作の中ではポピュラー・ミュージックのフォーマットに一番近いと言えよう。
ふたりのコミニケーションの様子を描写しているだけでなく、その楽しげな雰囲気や、夜のしじまでここだけは賑やかな室内の暖かな空気感が伝わってくるような空間を、声の配置や残響などで作り上げている。ヴォーカルをエフェクトで加工したり、切り刻むなどのエディットは行なわず、あくまでも必要とされる声の要素をひとつひとつ録音し、丁寧に重ね合わせている。そのひとつの曲の中に織り込まれたいくつものの声がそれぞれの役割を持ち、曲を構成している。だが異なる声質(もしくはキャラクター)がぶつからず、また同じ人間の声同士混ざり合って濁ることもなく、精緻なタイミングで調和を成す、ミックスの匙加減が見事だ。
なおこの曲のミュージックビデオは“声”だけで作られた今作だけに、声を発する“口”にフォーカスを定めた斬新な映像となっている。
作曲と編曲はinktrans。2014年に行なわれた「第1回フライングドッグ・オーディション」の作曲家部門でグランプリを獲得しており(アーティストの部門では、西沢幸奏がグランプリを獲得している)、2015年7月にリリースされた千菅春香のシングル『ジュ・ジュテーム・コミュニケーション』には、inktransが手がけたカップリング曲「私とあなたの在る世界」が収録されている。また千菅春香の1stアルバム『TRY!』にも「corolla」を提供している。エレクトロニカやポストロックを基調としたエモーショナルなロックやポップスによる楽曲制作を得意としており、それらによる自身の楽曲も数多く発表している。
「サンクチュアリ」は『トコワカノクニ』の制作が始まるきっかけとなった、「枝垂れている枝に、蝶々がいっぱい鈴生りに群がっている」という悠木 碧のイメージをそのまま具現化した楽曲。歌詞やジャケットに登場しているモナルカ蝶の大群が木の枝にその羽を休めている姿を言葉と声で描く曲なのだが、視点の切り替えがミクロとマクロの対比を鮮やかに生み出しており、強烈な視覚イメージがホドロフスキーの映画のようなサイケデリックな感覚を呼び起こす。
「レゼトワール」やこのメイン・ヴォーカルとは対照的に、感情を露わにしないコーラスやリズムが背景として整然と配置されている。正確なピッチでシーケンスする声は何処となく神秘性を帯びており、厳格な法則に支配された世界の理や自然そのものを表わしているようだ。
「レゼトワール」と比べると音数をあえて抑えたトラックが、点描画のように光景を描き、空間の奥へと直線的にこだまする。このように声が幾重にも重なり合うサウンドは、悠木 碧が意図する「声がいくつも重なったときには何かぞくっとする」という感覚を伝えるには実に効果的。楽器と化したクールな声がリズミカルに連なって曲は進んでいく。
メイン・ヴォーカルは澄み切った声質で、“ミリオン”の蝶に対峙するその姿を描き出す。明るさをやや誇張したような弾む抑揚がかえって、異質なこの世界に既に侵食されているような、現実と切り離されたかのような奇妙な違和感をもたらす。その中で、“ゼリイみたいな何かが”の言葉にほんの一瞬、不安が差し込むような揺れる感情の表現が絶妙だ。無垢な少女の声で語られるサビの“わたしは森の奥で 蝶の神殿になる”では、この光景を受け入れることによって作品の舞台となる別世界へと扉が開かれるような、いわば音楽による通過儀礼といった鮮烈さに引き込まれる。
今作には楽曲のあちらこちらに、またアルバム全体にも様々な仕掛けが施してあり、それをひとつづつ解きながら聴いてゆく、謎解きのような楽しみ方もできる。時にはマザーグースのように跳躍する不思議なイメージを織り交ぜつつ、弾むような言葉選びだけでなく、注意深く加えられた押韻による心地好さが、今作に親しみやすさをもたらしている。“声のみでつくりあげる”というコンセプトを聞いてしまうとつい身構えてしまう方もいるかと思うが、このように冒険心があふれながらも、エンターテイメントとして非常に楽しめる作品として仕上がっている。
ただかわいらしい、ただ美しいといったものだけには埋没しない、「ひねたところもあってこそのかわいさ」を追求する、悠木 碧ならではの感覚。例えばヤン・シュヴァンクマイエルやラウル・セルヴェ、ブラザーズ・クエイらの作品などにも通ずる、奇妙な不可思議さをまとった美意識が感じられる、極めて興味深い一枚だ。
CDの初回限定盤には、アルバム全曲の5.1chサラウンド音源を収録したDVDが同梱されている。CDの2Mix音源、DVDの5.1chサラウンド音源、ハイレゾの96kHz/24bit音源。実はそれぞれ最終のマスタリングが異なっている(詳しくは佐藤正和氏のインタビューをご覧いただきたい)。それぞれの音質の違いを聴き比べるのも非常に面白い。また独特な音空間を体感するためにも今作は、2Mixの音源もスピーカーで聴いてみてほしい。
“声”に焦点を当てた作品としては、現代音楽などではモートン・フェルドマンの「Only」や、AREAのヴォーカリスト、デメトリオ・ストラトスがCrampsに残したソロ作品などが有名だ。また近年では、40声部すべてを一人で多重録音により仕上げてしまった松平 敬の『40声のモテット「スペム・イン・アリウム」』も印象深い(この曲はハイレゾ配信も行なわれている)。ポスト・クラシカルのジャンルでは、ニコ・マーリー『Mothertongue』(2008)や、夢中夢のヴォーカリスト、ハチスノイトによるソロアルバム『Universal Quiet』(2014)、またポピュラー・ミュージックでは、山下達郎『ON THE STREET CORNER 1』(1980)、トッド・ラングレン『A Cappella』(1985)、ビョーク『Medúlla』(2004)などの作品がよく知られている。
自らを声を発する楽器として解釈した存在として、ヒップホップではドゥー・ワップをそのルーツと言われている、ダグ・E・フレッシュやビズ・マーキーらが広めたヒューマン・ビート・ボックス(『Medúlla』には日本人のヒューマン・ビート・ボクサー“DOKAKA”が参加をしている)、またヴォイス・パフォーマーとしては、メレディス・モンクやディアマンダ・ギャラス、巻上公一や足立智美、吉田アミなどの名が挙げられるだろう。もちろん、彼らに影響を与えた、声を源泉に持つ世界中あまたの民族音楽を忘れてはならない。
教会音楽のア・カペラ様式を受けて発展したクラシカルな声楽作品や、ゴスペルの流れを汲むドゥー・ワップ、また各アーティストの個性より生み出された前衛的な要素を含んだ独自の音楽作品、そして民族音楽。“声”に焦点を当てた音楽として、大まかにクラシカル/ポピュラー/ビート・電子音楽/前衛/民族音楽といった具合に分けられるだろうか。その中でも今作は、前衛からポピュラーの要素までを兼ね備えたポップ・ミュージックとして非常に際立った存在と言える。実験的な手法を取りつつも、メロディアスでリズミカルな声によるサウンドがその均衡を保っており、独自の世界観を生み出している。
このような音楽がいわゆる“アニソン”というジャンルから突然変異のごとく現れたのも面白いが、声の演技に特化した俳優である“声優”が、その武器とも言える“声”に集約した作品を作るならば、このようなアルバムが生まれるのももっともなことであるのかもしれない。
FlyingDog
2016.12.14FLAC・WAV 96kHz/24bit
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1.アイオイアオオイ
作詞:藤林聖子 作曲・編曲:bermei.inazawa
2.サンクチュアリ
作詞:藤林聖子 作曲・編曲:inktrans
3.マシュバルーン
作詞:藤林聖子 作曲・編曲:bermei.inazawa
4.鍵穴ラボ
作詞:藤林聖子 作曲・編曲:inktrans
5.レゼトワール
作詞:藤林聖子 作曲・編曲:kidlit
6.マシロキマボロシ
作詞:藤林聖子 作曲・編曲:bermei.inazawa
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