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INTERVIEW

2018.02.26

影山ヒロノブ40周年!ベスト・アルバム2枚同時リリース記念1万3,000字インタビュー!

影山ヒロノブ40周年!ベスト・アルバム2枚同時リリース記念1万3,000字インタビュー!

「CHA-LA HEAD-CHA-LA」がもたらしたインパクト

――そのなかで影山さんとしては「聖闘士神話~ソルジャードリーム~」もそうですが、やはりなんといってもこのアルバムの1曲目に収録されている「CHA-LA HEAD-CHA-LA」が大きなターニング・ポイントになったかと思います。

影山 1曲目に入ってるんですよね(笑)。

――ここまで“強い”アルバム1曲目はなかなかないですよね(笑)。

影山 当時『ドラゴンボール』ってね、アルバムとかもう10枚以上とか出てたんですよ。で、1曲目はいつも「CHA-LA HEAD-CHA-LA」だったんですね。当時のディレクターの内田さんは「これみんな飛ばすんじゃないか」とか言って(笑)。

――それくらいみんな知ってるし、聴いている曲であると。

影山 僕の最大のヒット曲なので。

――また自叙伝でも語られていましたが、森雪之丞さんの歌詞を見てびっくりされたと。

影山 いやー、ほんとにびっくりしました。

――たしかにスーパー戦隊では、どんどんロック色が強くなっていくアニソン/特撮ソングというお話がありましたが、ここでは小学生が好きなフレーズがいっぱいという。

影山 この間ね、レイジーで森雪之丞さんと一緒に仕事したんですよ。で、レイジーの打ち上げのときに「海外で『CHA-LA HEAD-CHA-LA』ってどんな意味なんですか?って聞かれると困るんですよ」って雪之丞さんに言ったんですよね。「何か意味あるんですか?」って聞いたら「ない」って(笑)。“HEAD-CHA-LA(ヘッチャラ)”はわかりますけど、“CHA-LA”ってなんですかっていう。「いや、語呂だよ」とか言われて(笑)。

――ただ“CHA-LA”がなければここまでのヒットはなかったかもしれませんね。当時のコンサートや遊園地などでのイベントなどで披露されていると思うのですが、そのときのリアクションはいかがでしたか?

影山 遊園地とかでリハーサルやるじゃないですか、朝早くに。「CHA-LA HEAD-CHA-LA」を歌いだすと本番じゃないのに、うわぁって人が暗い街から急激に集まってくるみたいな(笑)。

――早朝なのに!(笑)。

影山 でもリハだからワンコーラスぐらいしか歌わないし、「本番よろしくお願いします」って消えていくじゃないですか。そしたら子供たちがみんな「えーなんだよーなんだよー」とか文句を言うんですよ。「いやいや、ちゃんと午後からやるからね」みたいにたしなめるんですけど。やっぱり『ドラゴンボール』の曲は子供が興奮するようななんか裏ワザが入っていたんじゃないかな(笑)。

――例えば近年でいうと「もってけ!セーラーふく」を初めて聴いたときの、今まで聴いたことのない衝撃に近いものがあるかもしれませんね。

影山 あっ、多分そういうことなんだと思いますよね。変わったサウンドだなと思いました。

――それがゴールデンタイムに毎週流れるという。

影山 あれ何クールというか、何年くらいかかってたんだろう(笑)。「WE GOTTA POWER」が出るまではずっと変わんなかったですからね。今だとレコード会社って一曲が当たると変えるじゃないですか。あの当時って当たったら変えなかったですよね。

――ちなみに「CHA-LA HEAD-CHA-LA」は、1話から199話まで、89年から93年までずっとこれが流れていたっていう。

影山 マジ!?長かったね。

――そして当時日本の子供はおろか、世界中で熱狂されているアンセムですよね。

影山 もう海外での「CHA-LA HEAD-CHA-LA」の威力はすごかったですよ。スペインに行ったときなんかもうこの人たちなんなんだろうって(笑)。

――僕も動画で観ました(笑)。そうした80~90年代に日本で熱狂したものが、その後影山さんが直接行くことによって、海外でも大きなブレイクを果たして、以降アニソン・アーティストの海外展開が始まります。

影山 そうですね。その頃って「CHA-LA HEAD-CHA-LA」と一緒に海外に行った感がすごく残っていて。いやー、行ったなぁ。ちなみにいちばん最初フィリピンなんですよ、なぜか(笑)。ほとんどみんなブラジルだと思ってるんですけど。ブラジルの前にスペインとフィリピンがあるんですよね。ひとりで行きました。

――そこで海外でこれだけ熱狂があったということを知るわけですね。

影山 そう、最初なんてホームなのかアウェイなのか想像もつかない感じで行くじゃないですか。でもスペインもフィリピンもどっちも冗談ぐらい人が集まってて、みんな「CHA-LA HEAD-CHA-LA」知ってるっていう、「えー、なんで知ってんの!?」ぐらいな(笑)。

――今の世代の人たちはある程度当たり前の感覚かもしれませんが、当時は海外の情報もなかなか入ってこなかったですものね。

影山 そうですよね、今はランティスでも海外で有料でコンサートをやって、日本のスタッフもそっくりそのまま連れて行って、っていうような規模にまできてるんですけど、俺たちが最初に行った頃なんて冗談みたいな話ですけど、メンバー5人なのにマイク2本渡されて、みたいな(笑)。そういう時代でメチャメチャだったけど楽しかったですよね。ちょっとしたフロンティア・スピリットっていうか、ほとんどの国にいちばん最初に俺とか遠藤(正明)とか、クッシーとかとで南米とかに行きましたね。

――2000年代に入った頃、影山さんや水木さんが“開拓”されたアニソンの海外公演は、当時環境は整備されていなかったけど、そこに第一歩を踏むということの意味の大きさがあったと。

影山 2000年の最初の頃の海外イベントは、まだ向こうの有志たちがやっている公演だったんですよ。ブラジルでも今でこそ“Anime Friends”とか大きくなっていますけど、ほんとに始まった頃っていろんな国の地元のオタクのグループがやり始めて、「じゃあ日本から声優さんとかシンガー呼んじゃう?」みたいな(笑)、そういう頃だった。楽しかったですよ。

――自著でもギャラが出なかったという……。

影山 ブラジルね(笑)。

――そこが常々影山さんがおっしゃっているフロンティア・スピリットという言葉に繋がっていくわけですが、第一歩を踏む価値があるという。

影山 やっぱりすごく名誉なことだと思いますよ。

――聞けばすごいと思いますが、実際に未踏の地に踏むことの勇気って相当なものだと思うんですよね。

影山 まあそうですよね、クッシーと初めてブラジルに行ったときはノーギャラ、ノーマネージャーですよ(笑)で、クッシーなんてさ、もう英語しゃべれるとか嘘ついちゃってさ、でもいざ向こうの空港だと全然俺の後ろから動かないんだよね(笑)。最初「俺、若い頃ソウル・バンドで米軍キャンプ回ってたから、英語は大丈夫だけどポルトガル語はだめだからさ」とか言ってたのに、乗換のアメリカの空港で全然喋んないで100%俺任せ(笑)。

――ワハハハ!さらに大変な状況になるという(笑)。

影山 もうブラジルに辿り着いたことも、日本に帰ってきたこともよく帰って来られたなって思うような感じだった(笑)。

――まさに開拓者の心境ですよね。逆にあのとき、影山さんが断っていたら、今のような活況はなかったはずですよね。

影山 そうだよね(笑)。まあいちばん最初はただの好奇心ですよね。でも2回目からは違うんですよ、2回目からはある意味なんだろう……農業文化のない国に教えにいくような使命感はちょっとありましたね。自分たちが乗り込んで行って盛り上げれば、そのあとみんなも気軽に来られるんじゃね?みたいな。現にやっぱり1年目をやったあとに2年目のオファーあったときに、今度はうちのスタッフが日本の窓口になって別のアーティストに声かけたり……っていうことで広がっていきましたから。

――そうした開拓していくという精神は、僕の想像ですが、影山さんのルーツにあるんじゃないかなと。それこそ吉田拓郎をはじめとしたフォーク・シンガーは何もない場所でフェスを始めたりとか、幼少の頃の影響を受けたアーティストの精神が根底にあるのではないかなと。

影山 なんかね、“身ひとつ”でというのに憧れるのはすごくありますよね。レイジーのときも俺たちレイジーは芸能界のバンドでテレビとかにも出て雑誌の取材いっぱい出ていたんですけど、同じ頃デビューしたのが松山千春さんなんですね。彼は一切テレビに出なくって、ただただ毎週末北海道のどこかでフォーク・ギター1本持って学生を集めてコンサートをやって、チャートのナンバー1まで持ち上げたんですよね。当時僕は十代でしたけど、正直言って子供心に「あっちの方がカッコイイ」と思ったんですよね。裸一貫ですごいことができる奴のほうが偉いんだって男の子として思ってました。だからそういうものに対しての憧れはやっぱり今もすごく残ってて。当然すごいことをすごいユニットのなかでやるってことも、プロとしてそこに立てるっていうことは光栄だしすごいなあと思うんですけど、それとは別の自分でそれよりギター1本担いでどっか行く心意気の方がカッコイイっていうところはちょっと残ってるんですよ。

――そのマインドはライフワークでもある“ソロアコギ旅”であり、未踏の地に身ひとつで行くことにも影響しているという。

影山 あと、以前“アニサマ”でも「CHA-LA HEAD-CHA-LA」をアコギ一本でやったことがあるんですよね。ああいうことやらせてもらえたりすると燃えるんですよね。最高のバンドでいちばんいい場所でドカーンとやったらそりゃ盛り上がるんだろうけど、なんか誰かのあとにアコギをジャカジャカジャカジャカーン♪って弾いて出て来たら、自分はそっちのほうの心意気の人でありたいなあと思う気持ちはあります。

――なるほど。

影山 まあただ、俺たちの育ったアニソンの世界はもうちょっと発展途上だったのかもしれないですよね。今はランティスとかも、例えば若いアーティストが自由なことやりたいって言っても責任があってさせないと思う、そういう危ないこと、無謀なことは(笑)。

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