INTERVIEW
2017.09.12
ボーダー柄の服のコンビが、サイコロ片手に“ノー・ボーダー”の精神でナイスな音楽を聴き歩く――。
「ボーダーズの“音の場”season2」第15回となる今回ふたりが降り立ったのは、関東の陸の交通の中心、東京駅。まさしく東京の表玄関ともいえるこの駅は、地上だけでなく地下にも広大な敷地が広がっています。知ってるようで意外と知らないこの土地で、ボーダーズはどんな選曲をするのでしょうか?
――第15回は東京駅にやってまいりました。今回は主に駅の中を歩きましたね。集合場所が改札の内側だったのですが、「銀の鈴」という待ち合わせの名所からスタートしました。ここは北川さんはご存じだったんですか?
北川 知ってた。有名だよね。あれって地下に置かれたのって最近じゃない?
――昔は地上階にあったものが地下に移設されたものだそうですね。そもそも東京駅について「新幹線に乗る」以外の思い出ってあります?
北川 さっき思い出したんだけど、銀の鈴って僕の高校の修学旅行の帰りの新幹線の集合場所だったんだよ。
藤村 へえー!北海道に帰る時のですよね。
北川 そうそう。「銀の鈴前で集合して新幹線に乗るから、そこにいない奴はおいてくぞ」って言われた記憶がある。でもどうやって帰ってたんだろう?飛行機じゃなかったはず。新幹線は乗ってたけど北海道までは伸びてなくて、でもトンネルは通ってたから……。
――青森あたりで乗り換えてたんですかね。
北川 そうだと思う。当時は地上階にあって、そこに集合したっていうことだけぼんやり覚えてる。
――なるほど。
北川 藤村は全然知らなかったの?
藤村 私は知ったのはつい最近ですね。
北川 じゃあ待ち合わせに使ったこともなかったんだ。
藤村 前に一回だけ使ったことがあるんですが、今日の場所だったかは定かでは……。そもそもいつ頃地上から地下に移ったんですかね?
北川 わりと最近だった気がするんだよね。
藤村 私が待ち合わせたのは2、3年前だったと思います。
――地下に移設したのは94年だそうですね。東京駅の大規模改修工事が始まった頃だったと記憶しています。
北川 地下のあの周辺があんなにきれいになったのってすごく最近だよね?
――ここ10年ぐらいの開発に伴ってという感じですね。ここからまだ変わるらしいです。
北川 ちょっと前の春ぐらいに、駅弁をいつものお店で買おうとしたんだけど、「駅弁はこちら」っていう案内で地下に行ったら見たことのない商店街が広がってて「ここやばい!」と思ったんだよね。でも今日行ったらその時の景色からまた変わってて、まだ拡大してるんだって認識した。
――今日も歩きながら「うわ、ここ知らない……ここも知らない!」って驚きっぱなしでしたからね(笑)。
藤村 なんか観光しがいがありましたね。
北川 普段東京駅に着いても、すぐ新幹線の乗り場に行っちゃうから、外にあんまり出たことがない。
藤村 見て回る時間があるほど滞在しないですからね。
北川 そうそう。東京駅の周りのどこかに行くってのがあんまりない。だいたいいつも乗り換える前に本屋さんで本を買うぐらいだから、「ちょっと地下に行くだけで買えるお弁当の幅が広がる」ぐらいの認識だった。
藤村 私も実家に帰るときに新幹線に乗るぐらいですね……。
――基本的にはそうですよね。乗り換えで改札をめざすので探検してる余裕がないというか。
北川 今日東京駅の外側から駅舎を見たのもかなり久しぶりだったな。
――僕もです。電車以外の陸路で東京駅に出入りすることがあんまりないですからね。
北川 建て替えで新しくなったときとか、プロジェクションマッピングのときとか、テレビでは見ていたけど生では見てなかったからな。
――そんな地下街を見て回ってきたわけですが、まずは「八重洲」という地名の元になった、ヤン・ヨーステンという人物の像へ。オランダの貿易家だった彼が江戸幕府からあの辺りに邸宅を貰ったのが、八重洲の始まりだそうです。
藤村 何回聞いても「マジかよ」ってなりますね(笑)。
――僕も今回東京駅の歴史を調べていて初めて知りました。そのときの感想も「マジかよ」でしたよ(笑)。
北川 さっきも聞いたけど誰も納得いってなからね(笑)。
藤村 語呂合わせ頑張った感ありますよね。
――像の目力すごかったですね。
北川 パンチの効いた銅像だったね。
藤村 存在感ありましたね。写真も撮りました。
――今日は行けませんでしたけど、地上にも記念碑があるらしいです。
北川 そんなに八重洲にとって大事な人だったんだ……。
藤村 記念碑になってるぐらいですからね。
北川 僕らまだそこまで思考がたどりついてないからなぁ(笑)。
――そこから八重洲とは反対側の丸の内側広場に向かいまして、C62の動輪が飾られてる場所で写真を撮りました。東京駅が出来た当時に走っていた機関車の動輪の実物でしたね。
北川 D51とC62は小さい頃にペーパークラフトを作った記憶がある。
――そのふたつは蒸気機関車の二大スターっていうイメージですね。
藤村 その近所にあの、例の……(笑)。
北川 なんだっけ、あのモコモコしてるやつ……。
――「ふくらむちゃん」というキャラの形をした巨大な柱が急に現れて。我々全く知らなかったんですが。
北川川 全員で「なんだこりゃ!」ってなって「とりあえず写真だ!」って撮影して。
――調べたら東京駅地下街「グランスタ」のイメージキャラクターだということが判明しまして。
藤村 でもあの柱、実際のふくらむちゃんとは程遠いフォルムでしたよね(笑)。
――本来は十文字の形をしたキャラだったんですね。イメージキャラクターって言ってる割には全然周知されてないなって思って。
藤村 あの柱も特にキャラの説明書きとかは設置されてませんでしたね。
――でもtwitterアカウントはありましたね。だいぶ社会に疲れた感じのテンションでしたけど……。
北川 今日久しぶりに改札の外に出てみて、地下の新しくなってる区画に日本各地の有名なお店があったんだけど、その中に俺が函館に帰省したら必ず行く「函太郎」っていう回転寿司屋があるのはほんとにびっくりした。
――あのお店の並びはすごかったですね。広島のお好み焼き屋の隣に博多の明太子もつ鍋屋があって。
藤村 でも私、博多で明太子もつ鍋って見たことない……(笑)。
北川 ここ十年ぐらいの新興勢力なんじゃないの?こんなにいろいろお店があるんだったら、あちこち食べてみたいと思ったね。有名なお店はだいたい集約されてる感じだったし。
――もはや地方グルメのありがたみとは……って感じですね。
北川 でもあったらやっぱりうれしいよね。大阪に「インディアンカレー」っていうカレー屋さんがあって、仕事で行くと時間が無いときでも無理やりにでも時間作って行くんだけど、あるライブの後に、ラストオーダーまで20分ぐらいしかないタイミングだったんだけど電話して、「今から急いで行くんで、なんとか食べさせてもらえませんか!?東京から来てて、次はいつ来れるか分からないんです!!」ってお願いして、バンドメンバーとスタッフみんなで走って行って食べたら、お店の人もうれしかったのか店名のキーホルダーをくれて。そこがいよいよ東京に出店したって聞いて、食べに行ったのが東京駅の近所だったはず。たしか名古屋でライブがあったときに現地でご飯を食べ損ねて、地方グルメ熱のやり場に困った末に、ギターのトッシーと一緒に「東京であのカレー食べよう」って行って、とりあえず地方の美味しいものを食べたってことで解散した記憶がある(笑)。だから東京で地方のものが食べられるってのも良いような悪いようなだね……。東京に来てほしいなって思ってた店も、いざ来るとそんなに食べてないなって。あるとうれしいのは確かなんだけど。
藤村 そうなりますよね(笑)。
――近くにあると安心しちゃう感じというか。でもそうこうしているうちに閉店しちゃってたりもしますね。
北川 そうそうそう!だから来週行きます。
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